元五輪選手でタレントとしても活躍した【木原光知子】を振り返る!

元五輪選手でタレントとしても活躍した【木原光知子】を振り返る!

1964年の東京オリンピックに競泳選手として出場し、競技生活引退後はタレントとしても活躍された木原光知子さん。その明るく元気なキャラクターは今もなお記憶に新しいところではないでしょうか。この記事では、そんな木原光知子さんの活躍について振り返ってみました。


木原光知子さんのプロフィール

著書「木原光知子のレッツ・スイミング」
1989年7月1日発売

本名:木原美知子(きはら みちこ)
生年月日:1948年4月5日
没年月日:2007年10月18日(59歳没)
出身地:岡山県
身長:167cm

小学生時代から競泳選手としてオリンピックに出場することを目標に定め、中学2年生だった1962年には国体出場を果たし、背泳ぎで見事3位という成績を記録した木原光知子さん。

高校1年生の時、念願叶って1964年開催の東京オリンピックに出場。
400mメドレーリレー 4位入賞という成績を残し、「ミミ」の愛称で一躍有名となりました。

競技生活引退後は、タレントとして活躍された他、水泳教室を運営し多くの人たちに水泳の楽しさを伝えました。

国内外の大会で活躍した現役時代!そして初めての挫折・・・

著書「ヘルシーアップスイミング: 美しいプロポーションをつくる」
1985年6月1日発売

日本水泳界のホープとして注目されていた木原光知子さんは、東京オリンピックで女子400メートルメドレーリレー決勝でアンカーを任され、メダルにはあと一歩届かなかったものの4位入賞という記録に貢献されました。

その後、1965年の岐阜国体では自由形100mで日本新記録を樹立。
さらに、1966年にタイ・バンコクで開催されたアジア競技大会では、100m自由形、200m自由形、400mリレー、メドレーリレーにて優勝!

そして、1968年に開催されたメキシコシティーオリンピック出場を目指し日々努力に励んでいましたが、検討空しく選手選考から外れるという結果に・・・
19歳にして、初めて味わう挫折でした。
「補欠でも何でもいいからオリンピックに行きたい!」という一心で、自宅でひたすら電話が鳴るのを待ち続けていたそうです。

しかし、その様子を見ていたお母さんから「水泳以外の人生もあるよ」と諭され、日本大学在学中の20歳の時に現役引退を決意。
芸能界に飛び込むことになりました。

水着モデル

東レ水着キャンペーンポスター

競技生活を終えた木原光知子さんは、1969年から東レの水着アドバイザーに就任すると同時に、東レ専属の水着モデルも務めることになりました。

「ロマンチックになったことしの水着。ミミの水着です。」と銘打たれたキャンペーンポスターにも登場。

このキャンペーンは、80年代には山口智子さん、杉本彩さん、藤原紀香さん、菊川怜さんといった面々が東レキャンペーンガールとして登場し女性タレントの登竜門とまで言われるようになるのですが、木原光知子さんはその元祖となる存在だったわけです。

しかし、当時は「木原は裸を売り込んでいる!」などというとんでもないバッシングもあったんだとか。
裸になっているわけでもなく、水着なら選手時代も当然着用していたんですがね・・・
この美しい泳ぎ姿をやっかんでのことだったのでしょうか。

タレントとして活躍

月刊「ミセス」1982年7月号

明るく爽やかなキャラクターで人気を得た木原光知子さんは、タレントとしても活躍されました。
「東芝ファミリーホール特ダネ登場!?」(日本テレビ系列)、「連想ゲーム」(NHK)といったクイズ番組や、「Do-Up歌謡テレビ」(テレビ朝日系列)では明石家さんまと共に、「ライオンのおしゃべりな夜」(テレビ東京系列)ではピーターさんと共に司会進行役も務めました。

ドラマ「ベルサイユのトラック姐ちゃん」
1976年4月30日~9月17日までNET(現・テレビ朝日)で放送

木原光知子さんは、画像一番左。
岡野小百合役で出演されました。

また、ドラマにも出演していた木原光知子さん。

水泳選手としてミュンヘンオリンピック出場を目指す少女たちの物語を描いた「金メダルへのターン!」(フジテレビ系列)では、本人役で出演。

また、派手に飾ったデコトラで花を配達する「ベルサイユ花店」を舞台に、女性店員たちが行く先々で巻き起こる事件を解決していく様子をコミカルタッチに描いた「ベルサイユのトラック姐ちゃん」には、メインキャストとして出演されています。

デビューシングル「センチメンタル渚」(1977年発売)

さらには歌手としてレコードデビューもされた他、CM出演やラジオ番組への出演など幅広く活躍されました。

ミミスイミングクラブ

著書「水の浮力で腰痛を治す: 水中の“無重力”作用がやさしく癒す」
1998年6月1日発売

20歳で競技生活から引退された木原光知子さんですが、その後も水着ブランド「ミミアリーナ」の開発に携わったり、2005年には女性としては初となる日本水泳連盟の理事に就任するなど、水泳界に貢献。

また、1983年には「ケイ・アンド・エム・インターナショナル株式会社」を設立し、同年水泳教室「ミミスイミングクラブ」を開設し、「明るく・楽しく・ゆっくりと」をモットーに、多くの人たちに水泳の楽しさを伝えるべく指導されました。

突然の旅立ち・・・

2ndシングル「みじかい爪」(1982年10月発売)

木原光知子さんが逝去されたのは、2007年10月18日のことでした。
お亡くなりになる5日前の10月13日、神奈川県平塚市内のプールで親子水泳教室が開催されており、その指導中に意識を失い救急搬送。
一時は意識が戻ったようですが、クモ膜下出血により戻らぬ人となりました。
まだ59歳という若さでした。

木原光知子さんが競技生活から引退後、指導者としてではなく芸能界で活躍することに批判的なことを言う人たちが少なからずいたようですが、芸能界でも活躍しつつ水泳界にも貢献し続けた木原光知子さんは、トップアスリートのセカンドキャリアとしては理想的なものだったと思います。

もしかしたら、あちらの世界でも明るく元気に水泳を楽しんでいるかもしれませんね。

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