時代を超えて愛されるオニツカタイガー<Made in japanが世界に認められるまでの物語>

時代を超えて愛されるオニツカタイガー<Made in japanが世界に認められるまでの物語>

1949年 小さなスポーツシューズブランドとして誕生し、スタイリッシュなデザインと高い機能性で今や世界中を魅了する「オニツカタイガー」その足跡にはオリンピックやNIKEとの知られざる関係が大きく関わっています。タイガーマークに秘められたオニツカタイガーの情熱と歴史を深掘りします。


復興への志:オニツカタイガー創業秘話

1950年 オニツカタイガー第一号モデルとなる「タイガー印バスケットボールシューズ」翌年には、タコの吸盤から発想した「吸着盤型バスケットボールシューズ」が発売される。
この「OK BASKETBALL」はオニツカタイガー創業70周年を記念して2019年1月に発売されました。

当時のフォルムやアッパーの素材感などを忠実に再現しつつ現代的な履き心地にアップデートされています。

オニツカタイガー OK BASKETBALL

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1949年 終戦間もない神戸で鬼塚喜八郎氏が鬼塚商会(後のオニツカ株式会社)を設立。

荒廃した日本の若者たちにスポーツを通じて希望を与えたい!という強い願いがブランドの原点にありました。

「健全な精神は健全な肉体に宿る」という古代ローマの詩人ユウェナリスの言葉に感銘を受けた鬼塚氏は、これを理念に掲げスポーツシューズの開発に情熱を注ぎます。この言葉のラテン語訳「Anima Sana In Corpore Sano」は、後にブランドが統合されるアシックスの社名の由来となります 。

最初に手がけたのは草鞋に似たストラップサンダルでしたがこれは市場に受け入れられず、最初の試みは成功とは言えませんでした 。しかし、鬼塚氏は諦めることなく次なる目標として当時まだ専門のシューズが存在しなかったバスケットボールに着目します 。そして1950年、地元の高校バスケットボール部との共同開発により、日本初の国産バスケットボールシューズが誕生したのです 。



タコの吸盤がヒント?革新的なスポーツシューズを生んだ発想力

1951年 オニツカタイガーは画期的なバスケットボールシューズ「TIGER BASKETBALL SHOES」を発表 。そのソールには、夕食に出されたタコの酢の物からヒントを得たという、吸盤のような深い凹凸が施されていました 。このユニークなデザインは、プレーヤーのグリップ力を飛躍的に向上させ素早いスタートやストップといった動きを可能にし、このシューズを履いた高校生チームが大会で優勝するという成果を生み出しました 。



バスケットボールシューズの開発に続き、鬼塚氏が情熱をそそいだのがマラソンシューズです。

当時の日本のマラソン界では「金栗足袋」という足袋で走るのが一般的で、ランナーたちは足にできるマメに悩まされていました。そこで鬼塚氏はマラソン選手と協力し、マメのできにくいランニングシューズの開発に取り組みます 。

そして1960年 画期的なマラソンシューズ「MAGIC RUNNER」が登場します 。このシューズは、鬼塚氏が風呂場で熱いお湯でふやけた自分の足の指先を見て、靴の中の温度上昇がマメの原因となることに気づいたことが開発のきっかけとなりました 。大阪大学医学部の教授からマメのメカニズムを学び、空気循環システムの研究を進めた結果、「MAGIC RUNNER」は軽量であるだけでなく、優れた通気性を実現しランナーの足をマメから解放したのです。



こうして復興への志を胸に鬼塚氏の革新的な発想力と徹底した研究により、オニツカタイガーはスポーツ界で揺るぎない存在となっていきます。

アイコンの誕生:タイガーストライプ誕生とオリンピック

オニツカタイガーのアイコンであるタイガーストライプは、1966年に誕生しました。

1960年代 オニツカタイガーは世界で通用するブランドを目指しシューズのデザイン開発にも力を入れていました。

1964年の東京オリンピックでは、日本代表選手団がオニツカタイガーのシューズを着用しその機能性の高さが世界に認められましたが、デザイン面ではまだまだ世界に強くアピールできるアイコンとなるものがありませんでした。

そこで、「一目でオニツカのシューズとわかるデザイン」を作ることを目指し、社内でデザインの公募が行われました。



数多くの応募の中から選ばれたのが、現在タイガーストライプとして知られるデザインでした。

このデザインは虎の縞模様をモチーフにしたもので、虎が持つ力強さ、獲物を追いかける際のスピード感と躍動感を表現しています。

スポーツシューズにふさわしいダイナミックかつアグレッシブなイメージを与えることで、ブランドの視覚的な象徴となりオニツカタイガーのシューズが広く認識されるようになりました。



初めてタイガーストライプが採用されたのは、1966年の「リンバー」というトレーニングシューズでした。

このシューズは、1968年のメキシコオリンピックに向けて開発されたもので、タイガーストライプは、メキシコオリンピックの愛称「メキシコライン」とも呼ばれていました。

その後、「メキシコ 66」をはじめとする数々の名作に採用され、ブランドの顔として世界中で愛されています。

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NIKEとの関係:パートナーシップと決別と訴訟

NIKEは1964年 オレゴン大学の陸上コーチだったビル・バウワーマン氏と同大学のランナーだったフィル・ナイト氏が、ブルーリボンスポーツ(BRS)社として創業したアメリカのブランドで、当初はオニツカタイガーのシューズをアメリカで輸入販売する為に創業されました。



フィル・ナイト氏が卒業旅行で来日した際、その品質の高さと価格の安さに衝撃を受け「これはビジネスチャンスだ」と確信し帰国後、すぐに起業準備に取り掛かります。

委託契約時まだ正式に会社も出来てない状態で、その時に話した「ブルーリボンスポーツ社」という社名も「東海岸にある支店」の存在も全て丁稚上げだったという逸話が残っていますが、

「裸一貫で事業を始めたいとの彼の心意気に創業当時にリュックをかついで全国を歩いた自分の姿が重なり、この若者に思い切って販売店をやらせてみることにした。」

と後に鬼塚氏が語るほどフィル氏は論理より情熱が優先してしまう破天荒な青年だったようです。



晴れて販売委託契約を獲得したフィル氏は大学時代のコーチ「ビル・バウワーマン氏」と共に事業を拡大し販売を加速していきます。

両社の関係は一般的な代理店とメーカーの枠組みを超え、BRS社がアメリカ人にウケる機能性やデザインをオニツカ社に提案しオニツカ社が製品に反映するという密接な連携をとっていました。

フィル氏自身のアスリート経験やバウワーマン氏の長年の研究成果から全米でウケる新商品のアイデアをオニツカ社に提案し大ヒットした商品の代表格が「コルテッツ」です。



オニツカ社側はこの「コルテッツ」が両社の袂を分かつ火種になるとは思いもよらなかったことでしょう。



オニツカ社の高い製靴技術を学び取っていたフィル氏とバウワーマン氏は自社製作でのシューズ販売を画策し始めます。

一方、海外進出強化のため連携を強化したいオニツカ社はBRS社との共同販売会社を設立する準備を開始していました。

そして1971年、「タイガーコルテッツ」のヒットで自信を得たBRS社は、ついにオニツカ社からの独立を決め新ブランド「ナイキ」を設立。



設立に当たりオニツカ社の技術者を大量に引き抜き、さらにはオニツカ社のライバル会社であるアサヒシューズに製造委託を行って自社商品の製造販売を開始したという・・。オニツカ社側からすれば大変な裏切りですが、アメリカのビジネスシーンでは普通の行為なのでしょうか。

オニツカ社にさらなる悲劇が起こります。



二つの「コルテッツ」を巡る訴訟騒動

すでにヒット商品となっていた「タイガーコルテッツ」

ナイキは、自分たちの発案で製品化した「コルテッツ」を「ナイキコルテッツ」として販売したので、同時期に「コルテッツ」が2種類存在するという状況が発生してしまいます。

そもそも、コルテッツはフィル・ナイト氏とビル・バウワーマン氏の発案で商品化されたものですが、生産に当たってはオニツカ社の製靴技術が無ければ販売されなかったものです。

契約書の盲点を突かれ訴訟を起されてしまったオニツカ社側が折れて、和解に応じ1億数千万円という莫大な和解金を支払うことで決着がつきましたが、正式に「コルテッツ」がナイキの商標ということになり、オニツカ社はそれ以降「コルテッツ」を販売できなくなり誕生したのが「オニツカタイガーコルセア」です。



鬼塚喜八郎氏は、のちに日経新聞「私の履歴書」において「BRS社と販売会社設立の計画を進めていたところ、日本の商社の勧誘で他のメーカーからの仕入れに切り替えてしまった。驚いた私はすぐに別の販売店と契約したが、日本の商慣習になじまないそのドライな行動に裏切られた気がしたものだ。」

「まずいことにBRS社が使っていたニックネームを引き続き使ったため、その使用権の帰属をめぐって対立、訴訟を起こされた。結局和解に応じたが、和解金額は弁護士費用を含め1億数千万円。海外展開するうえで良い経験だったとはいえ、高い授業料を払わされた。これが後に急成長したナイキである。」と語られていました。



万感の思いだったことでしょう。

それにしても、世界のNIKEの始まりが日本だったとはビックリです。

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スポーツブランドからファッションアイコンへ:ブランドの変遷と復活

1977年 オニツカ(株)は(株)ジィティオ、ジェレンク(株)と合併し総合スポーツ用品メーカー「株式会社アシックス」が誕生

この合併により一時的に市場から「オニツカタイガー」のブランド名が姿を消すことになり、すべてのスポーツブランドは「アシックス」に一本化されました。

アシックスという社名は、創業当時「鬼塚氏」が掲げた理念「Anima Sana In Corpore Sano(健全な精神は健全な肉体に宿る)」の頭文字から取られています 。



アシックスがスポーツ用品メーカーとして成長を続ける一方で「オニツカタイガー」の名前は、25年間表舞台から姿を消し、

2002年 「オニツカタイガー」ブランドがヨーロッパで復活

復活のきっかけは、当時のヨーロッパでのレトロファッションの流行でした。

アシックスヨーロッパ社長「尾山基氏(後に取締役会長)」が、ヨーロッパのファッション市場でクラシックタイプのシューズが再評価される流れに目をつけたのが復活の始まりです。

ブランド再始動と同時に、アイコンシューズである「MEXICO 66」を発表

イタリアのメンズファッション見本市「ピッティ・イマジネ・ウオモ」に出展したことで、ヨーロッパで大きな反響を呼び、日本に逆輸入されるという異例のブームが巻き起こります。

2003年 映画「キル・ビル」で主演の「ユマ・サーマン」がオニツカタイガーのスニーカーTAI-CHI(イエローにブラックのオニツカタイガーストライプ)を着用したことで「おしゃれなアイテム」としてメディアで取り上げられ、益々オニツカタイガーのブランド知名度が上がっていきました。

直営店第1号となる「オニツカタイガー東京」をオープン

​ミラノファッションウィーク、東京コレクションなどのファッションイベントに次々と参加し、ファッショナブルなイメージが一気に加速。

オニツカタイガーの快進撃:グローバルに広がるネットワーク

オニツカタイガーが快進撃を続けるための戦略は多岐に渡りますが、主要なポイントとして、

「スポーツブランドではない」というブランドポジショニングとファッション性重視

復刻当初からシューズカテゴリーフロアではなくファッションフロアへの出店を続け又、ディスカウント販売をほとんど行わずブランド価値を維持することにこだわっています。

ファッションブティックやセレクトショップでの展開を重視し、主要都市に直営店を出店することで感度の高い顧客層へのアプローチを続けています。

ハイブランドや著名デザイナーとのコラボレーション、ファッションショーでコレクションを発表するなど、ファッション業界との結びつきを強めています。

消費者直接取引と直営店強化

直営店中心の販売戦略により、定価で購入する顧客をターゲットにすることで高利益率を確保しています。

ターゲット層の明確化とマーケティング

アイドルとのタイアップなどで若年層の顧客の取り込み、インバウンド需要の影響もあり外国人観光客にも人気を集めています。

「日本初 世界へ」をテーマにグローバル市場での展開を強化し、実店舗とECサイトの役割を明確化しています。ECサイトはブランド情報発信のメディアとしても活用されています。

高品質のものづくり「機能性×デザイン」

ヒールウェッジにクッション性に優れた素材、アウターソールに耐久性・グリップ性を追求したラバー、中敷きに通気性・クッション性に優れた素材を採用するなど素材や質にこだわり、履き心地と優れた耐久性を実現する一方、基本モデルのスタイルは維持しながらも、ストライプがないタイプ、厚底、スリッポンというように、ファッションアイテム色が強い商品もラインナップに揃えています。

リーズナブルな価格設定(海外戦略)

海外展開においては、高品質ながらも比較的リーズナブルな価格設定(例:MEXICO 66の多くが15,000円以内)も成功要因の一つとされています。

Onitsuka Tiger 75th Anniversary

創業100年に向けて:モノを売っているブランドではない「価値を伝えてお客さまを幸せにする」

創業者の物作りへの情熱と現代のファッションシーンが見事に融合した「オニツカタイガー」

その歩みを辿れば日本人特有の繊細な物作りと大胆な企業戦略が見えてきます。

直営ショップは連日 大盛況で、大半が海外からのお客様という日もあるようで、Made in Japanが認められて嬉しいような、買い漁るような姿にちょっと残念だったり.・・・。

NIKEさんよりイイですよね!(私見です。)



単なるスニーカーとしてだけでなく、ファッションアイテムとしての「オニツカタイガー」からこれからも目が離せません。



最後までご覧頂き、ありがとうございました。

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