メキシコオリンピックで銅メダルを獲得した日本代表サッカーチームの奇跡

メキシコオリンピックで銅メダルを獲得した日本代表サッカーチームの奇跡

昭和43年(1968年)の10月に開催されたメキシコオリンピック。前大会が日本で行われ、日本人アスリートたちの活躍で日本国内を大いに沸かした後のオリンピックということで、日本選手団への期待も高まっていました。日本の家芸ともいえる柔道や体操など、様座な種目でメダルを獲得していった日本ですが、それまでヨーロッパの国しか勝てないと思われていたサッカーで驚きの輝きを見せたのです。


プロ選手の参加は不可だったオリンピック

風船が放たれた開会式

1968年メキシコシティーオリンピック - Wikipedia

メキシコオリンピックに参加した日本チームは、グループリーグでサッカー大国ブラジルやスペインと同じ組になってしまいます。とはいえ、ハンガリー・チェコ・ブルガリアなどの東欧諸国と同じ組にならなかったのは、幸運だったと言えるかもしれません。

当時のオリンピックは、参加できるのはアマチュアのみしか参加できませんでした。ですので、トップ選手がプロで活躍している西側の強豪国は、ベストメンバーを組むことができなかったのです。

それに対して当時の社会主義国では、建前とはいえますがプロとされる選手はいませんでした。そのため国内で活躍しているトップの選手たちはそのまま出場することができたのです。という訳で、オリンピックにおいては、オリンピックにおける勢力図は、東欧諸国の方が西側の国々よりもワンランク上だったといえますね。

世界が驚愕した日本チームの活躍

それを物語るように、メキシコオリンピックでは、ハンガリーが金メダルを獲得し、ブルガリアが銀メダルとなっています。その中で、まだまだ実業団しかない西側の弱小国だった日本の快進撃は、世界中の人々を十分に驚かせたのでした。

チームとして銅メダルを獲得したことだけでも奇跡に近いのに、なんと日本のエースストライカー釜本邦茂選手が決めたシュートが7ゴール。これでなんと、得点王になったのでした。

メダルを懸けた3位決定戦

1968年10月24日、メキシコにあるアステカスタジアムでサッカー競技の3位決定戦が行われました。この試合に臨んだ日本は、あろうことかメキシコから前半だけで2点を奪います。

そして2対0で迎えた後半、逆転を狙うメキシコの一方的な攻撃が続きます。しかしディフェンスに徹した日本は、猛攻に耐え無失点で切り抜けたのです。結局2対0のまま試合終了のホイッスルが鳴り響き、日本が銅メダルを獲得したのでした。

開催地メキシコとの対戦となった3位決定戦。前評判では圧倒的にメキシコが有利とされていました。試合を見守る観客を一瞬沈黙させたのが、釜本選手が左足で決めた先制ゴール。キックのポイントを微妙にずらし、ゴールキーパーのタイミングを狂わせた絶妙なシュートでした。

後に釜本さんは、このシュートを振り返り、「ゴールキーパーの取れないところへ蹴ったように見えたでしょうが、実はあれはミスキックでした」と語っています。狙ったシュートでもミスキックでも、1点が入ったのですから問題なしですよね。

試合の流れを掴んだナイスセーブ

後半が始まって早々の2分、メキシコにPKという大きなチャンスが巡ってきます。2点をリードしていた日本ですが、ここで1点を奪われるとメキシコに勢いづかせることになり、勝敗はわからなくなります。

この絶対的なピンチの場面で、ゴールキーパーの横山謙三選手は、ビセンテ・ペレーダの蹴ったボールを見事にセーブしたのです。もし決まっていたら、その後の展開は大きく変わっていたかもしれないプレー、後半に入ってすぐとはいえまさに勝利を手繰り寄せるプレーとなったのです。

しかし点を取らないと勝てないメキシコチームは、このPK以外にも決定的な場面を何度となく作り出します。そして83分、ノーマークとなったベルナルド・エルナンデス選手のシュートが外れると、観客からは大ブーイングが起こったのです。そして遂には観客の皆さんは、「ハポン(日本)、ハポン、ラララ」と日本の応援を始める始末で、少々メキシコの選手たちには気の毒な感じになりました。

あまりに過酷だった高地での試合

アステカ・スタジアム

エスタディオ・アステカ - Wikipedia

このメキシコオリンピックのサッカー競技は、10月14日から11日間の6試合を標高2000mを越える高地で行われました。運動量と組織の動きで個人技の劣勢を補う日本代表チームにとっては、まさに最悪の過酷日程となっていたのです。銅メダル獲得までの戦いは、まさに「死力を尽くす」という言葉がピッタリの試合となりました。
 
3位決定戦に勝利し、3位の表彰式を終えてからバスで選手村に戻った選手たちは、自分の部屋に戻るなり、みんなベッドに倒れ込みしばらく起き上がることができなかったそうです。
 
コーチとしてメキシコオリンピックに参加した故デットマール・クラマー氏は、サッカー日本代表の基礎を築き、「日本サッカーの父」と呼ばれた人物でした。そのクラマー氏は、「長いコーチ生活を続けてきた中で、選手全員がこれだけ試合に全力を尽くして、燃え尽きるまで戦ったチームを見たことがない」と、その後思い出しては涙ぐんでいたそうです。

輝く日本人初の得点王

釜本邦茂選手が叩き出した得点は、日本の全9得点のうちのなんと7点を記録しました。その内訳は、右足のシュートが4点・左足でのシュートで2点・ヘディングシュートが1点でした。因みに、残りの2ゴールはともに渡辺正選手で、2点とも釜本選手がアシストしたものです。
 
そして得点王となった釜本選手へのラストパスをしたのは、杉山隆一選手が4本と八重樫茂生選手が1本、そして宮本征勝選手が1本でした。それともう1点は、相手ゴールキーパーのミスキックとなっています。

この結果は、日本チームの試合に対するシステムが、スイーパーを置く防御メインの試合運びで守りに徹し、攻撃は手数を掛けずに得点力のある釜本選手に集中させるという、とてもわかりやすくシンプルな作戦だったことがよくわかりますね。

そして多くのアシストを行った杉山隆一選手は、メキシコに向かう前から、パス役に徹すると決めていたそうです。まさに杉山選手から繰り出される釜本選手へのパスは。タイミング・強弱・高さなど見事なものでした。

個人を抑えてチームプレーに徹する

デットマール・クラマー(右側、左は杉山隆一)

デットマール・クラマー - Wikipedia

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