相川七瀬のプロフィール

まずは相川七瀬さんのプロフィールからご紹介します。
生年月日:1975年2月16日
出身地:大阪府大阪市
デビューのキッカケ:歌手になることを夢見ていて、中学3年生のときにラストチャンスに位置付けて受けたCBS・ソニーグループ主催のオーディションで、不合格となってしまいます。
ただその時に審査員だった織田哲郎さん(後のプロデューサー)が実家に尋ねてきて「デビューしないか?と声をかけてくれました。
ただすでに歌手を諦めていたため、一度は辞退します。
1年後に、自分から織田哲郎さんに連絡し、ボイストレーニングを受けるために高校を中退して上京しました。
そして1995年11月4日に織田哲郎さんのプロデュースで「夢見る少女じゃいられない」をリリースし、デビューします。
従来の「前向きなガール・ポップ」に対して「前向きじゃないダークなロック」を前面に打ち出し、その新鮮さと不良っぽさが受けて大ヒットしました。
当時の小室サウンド全盛期にあって、相川七瀬さんは本格的なガールズロックとして、一石を投じてくれましたね。
デビュー曲でいきなり、36万8千枚を売り上げて自身のシングル曲の中でも4番目の記録となりました。
オリコン最高位:週間12位
:1996年度年間86位
1996年7月にリリースしたアルバム「Red」は245万枚を超え、ダブルミリオンを達成します。
同年11月発売のシングル「恋心」はオリコン最高位2位と、シングルもヒット曲を連発していきました。
相川七瀬が、巨額の印税に驚いて取った行動に、大吉「『夢見る少女じゃいられない』とはそういうこと」 | WEBザテレビジョン
当初は月収5万円だった相川七瀬さんは、ある日振り込まれた桁違いの印税に、「人生がおかしくなってしまう」と焦ってしまったそうです。
そして一瞬でお金を使うために、東京にマンションを購入したのでした。
21歳の女の子のお金の使い途として、不動産に変えるって堅実ですよね!
確かに夢見る少女ではないかも(笑)
しっかりしていますね!

懐かしい!
このシングルCD持っていました!
ちなみに3枚目のシングル「LIKE A HARD RAIN」と4枚目のシングル「BREAK OUT! 」も持っていて、ドライブ中にノリノリで聴いていましたね。
この頃の相川七瀬さんの曲は、最高です。
当時は小室サウンド全盛時代で高音の歌が多かったですが、相川七瀬さんの曲は高音過ぎず歌いやすかった覚えがありますね。
2001年に第一子を出産し、音楽活動以外に絵本の出産なども出がけます。
2003年にはデビュー以来共にしてきた織田哲郎さんのプロデュースを離れ、新たに岡野ハジメさんをプロデュースに迎えました。
出産後、約2年ぶりにライブハウスツアー「THE GIG '03 LIVE IT NOW」を敢行し、全国のファンに向け「相川七瀬"完全復活"」を印象付けています。
相川七瀬 - Wikipedia
歌手活動を続けながら、40歳を超えてからの高卒認定試験や國學院大學神道文化学部への受験と合格など、学びも頑張る相川七瀬さん。
現役を離れてからの受験勉強は、かなり大変ですよね。
でもその向学心は、本当に素晴らしいと思います。
2007年に第2子を、そして2012年に第3子を出産した相川七瀬さん。
現在3人のお子さんのお母さんですが、現在も変わらぬ美しさを誇っています。
歌手に育児に家事に頑張りながらも、美しさを保つ秘訣を教えてもらいたいですね!
まとめ
今回は「デビュー曲爆売れで思わずマンションを購入した相川七瀬の活躍と現在」についてご紹介しました。
多額の印税にビックリして、マンションを購入という可愛らしい(?)エピソードが面白いです。
3児のお子さんの母として、歌手として活躍を続ける相川七瀬さんをこれからも応援していきたいですね!