小柳ルミ子の経歴
まずは小柳ルミ子さんの経歴からご紹介します。
本名:小柳留美子(こやなぎるみこ)
生年月日:1952年7月2日
出身地:福岡県福岡市
最終学歴:宝塚音楽学校
梓みちよに紹介された渡辺プロダクションに、歌手希望を願い出ます。
「宝塚音楽学校を主席で卒業したら歌手にしてあげる」という約束を守り、1970年に同音楽学校を首席で卒業しました。
宝塚歌劇団に入団していましたが、歌手デビューが約束されたために2か月で退団します。
小柳ルミ子さんの目標はあくまで歌手で、宝塚はそのためのきっかけ作りだったのでした。
 
  	宝塚歌劇団を退団した同年、歌手デビューにあたり知名度を高めるためにNHK連続テレビ小説「虹」で女優としてデビューします。
そして翌1971年に「わたしの城下町」で歌手デビューし、160万枚を売り上げました。
そして同年日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞します。
19歳の小柳ルミ子さん、可愛いです。
翌1972年には「瀬戸の花嫁」で日本歌謡大賞を受賞し、順調にスターダムに駆け上がりました。
その後も「お祭りの夜」「京のにわか雨」「漁火恋唄」など大ヒットを連発し、天地真理さんや南沙織さんらとともに「三人娘」(のちに「新三人娘」)と称され1970年代を代表するトップアイドルの1人になっています。
デビューした1971年から1988年まで18年連続で紅白歌合戦にも出場し、順調に歌手としての実績を積み上げました。
大胆な絡みを披露した映画「白蛇抄」
 
  	歌手としての活躍は言うまでもないですが、1983年公開の映画「白蛇抄」で主演し、日本アカデミー最優秀主演女優賞を受賞しました。
夫を失い絶望のあまり滝に身を投げた石立うたを演じています。
寺の住職に助けられ後妻として寺に住み着いたうたに対し、病気でほぼ寝たきりの住職は毎晩身体を求め、口淫などで愛撫を重ねるのでした。
住職の息子役の杉本哲太は、そんな二人の姿を盗み見てうたに情欲を募らしていき、うたは息子とも出来てしまいます。
杉本哲太に恋心を募らせるまつの役を少女時代の仙道敦子が演じ、超豪華な出演陣ですね。
うたの陰部に顔を埋める、住職の禿げ頭…小柳ルミ子さんはナイスバディをよじらせて淫靡なシーンを体当たりで演じています。
女優としても大きな実績を残しました。
結婚と離婚
1989年、36歳のときに23歳の大澄賢也さんと結婚しました。
大澄賢也さんは当時、無名のダンサーだったために格差婚としてかなり話題になりましたよね。
2人は残念ながら2000年に、大澄賢也さんの浮気が原因で離婚しています。
浮気したのは大澄賢也さんが悪いですが、収入差について小柳ルミ子さんから厳しいことを言われていて癒しを外に求めてしまったようです。
夫婦はどちらが一方的に悪いということではないのでしょう。
1億円の慰謝料を求めたことも話題になりましたが、大澄賢也さんは払い終えたことを報告しています。
まとめ
今回は「小柳ルミ子の活躍!歌手デビューから惜しげもなく裸体を披露した映画「白蛇抄 」まで」についてご紹介しました。
歌手としても女優としても才能を発揮し続ける小柳ルミ子さん。
これからの活躍にも期待したいですね。
 
     
    




