下田 美馬(しもだ みま)プロフィール

本名 下田 美馬
生年月日 1970年12月23日(50歳)
出身地 東京都目黒区
所属 CMLL
デビュー 1987年8月5日
経歴

1970年12月23日に東京都目黒区で誕生した下田さん。
1987年に全日本女子プロレスに入門され同年8月5日に三田英津子戦でデビューされました。
全日本ジュニア王座を獲得するなど頑張られていましたが、新人時代は伸び悩んでいたと言います。
三田英津子とタッグ

下田美馬&三田英津子
伸び悩んでいた下田さん、その後は同期の三田英津子とタッグを組み、全日本タッグタイトルを獲得する等、頭角を現す様に・・・。

下田美馬VSアジャ・コング
1990年3月18日には、格闘技経験が皆無である状況で、後楽園における格闘技戦(グローブマッチ)でアジャ・コングと対戦し、滅多打ちにされ、ローリング裏拳により下顎骨折および前歯数本を欠損する死闘を繰り広げています。
お嬢さんからヒールへ

1992年頃には三田選手と共に北斗晶さんに師事し、猛武闘賊(ラス・カチョーラス・オリエンタレス)なるチームを結成され、「お嬢さんからヒール」への転身されています。
北斗さんの引退と共に、ラス・カチョーラス・オリエンタレスも消滅かと思われたが、下田さんと三田さんのタッグチームで継続。
このタッグは全女を引っかきまわすだけには留まらず、LLPWやJWPといった他団体の選手(特にヒール)とも積極的に試合をこなし、インタビューや会場の客や相手に対し挑発、辛辣に煽り立てるなど、マイクパフォーマンスの技術も飛躍的に上昇していきました。
タッグチーム最高峰

1997年には女子プロにおけるタッグチーム最高峰と言われ、WWWA世界タッグ王座も奪取。女子選手を有するほぼ全ての団体に出場するほか、男子のみちのくプロレスやアメリカのECWにも出場されています。
2000年には三田選手と共に東京スポーツ主催の「女子プロレス大賞」受賞されています。
全女の倒産後は

下田さんは、全女倒産後、しばらくフリーランスで活動され1998年ネオ・レディース(現:NEO女子プロレス)所属されました。
引退

下田さんは、2003年にプロレスを1度引退され、AtoZのエージェントマネージャーに就任されました。
フロントとして存在感を示していたが、2004年7月に一試合限定のプレミアムレスラーとして復帰されましたが、その後も度々リングに上がる様になっています。
2005年2月には、リングへの本格復帰されました。

週刊現代
2005年11月、下田さん35歳の時に週刊現代誌上でヘアヌードを発表されました。
所属は・・・。
全日本女子プロレス(1987年 - 1997年)
フリーランス(1997年)
ネオ・レディース(1998年 - 1999年)
フリーランス(1999年 - 2003年)
メジャー女子プロレスAtoZ(2003年 - 2005年)
フリーランス(2005年 - 2006年)
CMLL(2006年 - )
結婚やお子さんは?
旦那さん
下田さんの結婚情報が少ないですよ。
結婚時期とかは不明ですが、メキシコ人の方と結婚されてる様です。
旦那さんの名前も情報も不明。ただ結婚後2006年8月30日よりメキシコに移住されてる様です。
お子さん

下田さんのTwitterには外人?ハーフ?のお子さんが登場するので、下田さんのお子さんかと思ったら、下田さんのお子さんでは無いようです。
スペイン語で「Madrina」(名付け親・義母の様なの意味)
下田さんにはお子さんがいないのかもしれません。
現在の下田さんは?
2006年5月8日にCMLL移籍されレスラーのみならずマネージャーとしても活動されてる様で、2012年3月24日、同じCMLLのセウシスとのタッグでREINA世界タッグ王座を奪取。
また2020年6月頃から新日本プロレスでバックステージスタッフとして働いている様です。
最後に・・・。

下田美馬写真集
いかがだったでしょうか?
また面白そうなネタがあったらまとめてみたいと思います。
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