スーパースターとして活躍した沢田研二さん
沢田研二さんの経歴
1948年、ご両親の実家がある鳥取県津ノ井で生を受けた沢田研二さん。父親の仕事の関係で、京都府京都市に引っ越し、小中高と地元の公立学校に通いました。しかし、高校は中退されているようです。
ファニーズとしてバンド活動をしていると、ジャズ喫茶でロック歌手として有名な内田裕也さんと共演。この共演がきっかけとなり、メンバー全員、渡辺プロダクションと契約してメジャーデビューする足掛かりを掴みました。
1967年、ザ・タイガースはシングル『僕のマリー』を発売してデビューを飾ると、その後に続々とヒット曲を飛ばしました。そして、端正な容姿をした沢田研二さんは、貴公子的な存在として10代・20代の女性を中心に爆発的な人気を獲得されます。
しかし、渡辺プロダクションの待遇を巡ってメンバーは脱退を仄めかすように。事務所との交渉は難航し、ザ・タイガースはメンバーの突然の失踪というかたちで解散に傾いていくのでした。
その一方、バンド活動においては、PYGのボーカルの一人である萩原健一さんが俳優としての活動を本格化させたことで形骸化。他のメンバーは、沢田研二さんのバックバンドとして活動していくことになります。
1970年半ばから日本国内に捕らわれず、海外でも音楽活動をするように。イギリスやフランス・ドイツ・ベルギーでも活躍し、日本人アーティストとして、その存在感をアピールしました。フランスでは、ゴールデンディスク賞を獲得した初の日本人になっています。
この時期から派手さを意識したビジュアルやパフォーマンスがエスカレートしていくようになり、その奇抜さも大きな話題になります。沢田研二さんのバックバンドのリーダーを務めていた井上堯之さんは、奇抜さを重視したスタイルについていけなくなり、1980年にはバックバンドを解散してしまいます。
1980年代に入ると『ザ・タイガース同窓会』といった企画が組まれ、全員ではないものの、当時のメンバーが再集結したことでも話題になりました。これを機に、ザ・タイガースの楽曲として、いくつかのシングルも発売されていて全国ツアーも行なわれています。
1981年公開の映画『魔界転生』でも、沢田研二さんは主演を務め、観客動員数は200万人、配給収入は10億5千万円を記録するようなヒット作になりました。
1995年には自分のやりたい音楽をやりたいようにするとセルフプロデュース宣言を行ない、それ以降、現在に至るまで自分自身で音楽活動をプロデュースされています。
しかし、音楽活動における沢田研二さんの勢いは衰えず、現在もライブ活動を中心に最前線で活躍し続けています。
沢田研二さんの結婚や家族について
比叡山延暦寺で結婚式を挙げ、その日に開催した比叡山フリーコンサートでは夫婦揃ってステージに上がり、ファンに対して結婚報告を行ないました。お二人の間には男子が生まれ、幸せな生活を送ります。
しかし、1983年には女優・田中裕子さんとの不倫が発覚します。田中裕子さんは伊藤エミさんに宣戦布告するかのように、沢田研二さんと一緒になると公の場で発言されました。
1987年、沢田研二さんと伊藤エミさんの離婚が成立。その慰謝料は18億1800万円だったといいます。
沢田研二さんは田中裕子さんと幸せに暮らしているというから、お互い、それぞれの人生を歩んでいるのだと思われます。
前妻・伊藤エミさんはというと、2012年に71歳の若さでガンのためにお亡くなりになっています。離婚後、再婚することはなかったようで、彼女にとっても沢田研二さんは特別な存在だったのは間違いないでしょう。
沢田研二の故・伊藤エミさんへの離婚慰謝料は18億円だった|NEWSポストセブン
沢田研二さんが起こした2度の暴行事件
駅員は何度も謝罪したそうですが、沢田研二さんは聞き入れず、結局は周りの駅員が彼の身柄を取り押さえる大騒ぎになってしまったようです。この件で、沢田研二さんは起訴は免れたものの、マスコミに取り上げられてしまいます。
沢田研二さんは相手を殴ってしまい、2度目の暴行事件として世間を騒がせることに。
刑事事件として書類送検されるも、結果的には、相手との示談が成立して事態は収束に向かいます。しかし、2度目の暴行事件ということで、1カ月の謹慎となり、その年のNHK紅白歌合戦や賞レースの参加も辞退されています。
頭突き事件、いもジュリー事件…ライブ中止「沢田研二」は今も昔も“お騒がせの人” | デイリー新潮
沢田研二さんの主な出演作品
シングル
映画
『炎の肖像』
内容&あらすじ
内容&あらすじ
『魔界転生』
Wikipedia - 魔界転生
テレビドラマ

『悪魔のようなあいつ』
内容&あらすじ
www.tbs.co.jp
『源氏物語』
内容&あらすじ
www.tbs.co.jp
バラエティー番組
内容&あらすじ
最近の沢田研二さんの活動ぶり
2013年には、ザ・タイガースのオリジナルメンバー全員が44年ぶりに集結。日本武道館でコンサートを行ない、ツアーファイナルは東京ドームに45000人もの観客を動員したことでも大きな話題になりました。
2018年から、半年間にかけて全67公演にも及ぶライブツアー『OLD GUYS ROCK』を開催。
しかし、予定されていたさいたまスーパーアリーナ公演では、観客の少なさを理由に開園直前になって急遽中止にするといったトラブルが発生しています。
日刊スポーツ
このドタキャン騒動も、当時はワイドショーを賑わせましたね。
2020年には新型コロナウイルス感染拡大防止のため、全27公演の全国ツアーも中止になっています。音楽活動は抑制せざるを得ない状況下で、2021年公開の映画『キネマの神様』に志村けんさんの代わりに出演されることが決まってファンを喜ばせました。
まだまだ新型コロナウイルスによる影響の先行きは読めないところがありますが、沢田研二さんは現役アーティストとして最前線を走り続けてくれそうですね。今後の益々の飛躍を祈って今回の記事を締め括りたいと思います。
最後まで記事を読んでくださって、ありがとうございました。これからも気になる有名人を取り上げていきますので、また別の記事で皆さんとお会いできたら嬉しいです。