マルチな活躍ぶりを見せた若尾文子さん
若尾文子さんのプロフィール
若尾文子さんの経歴
1933年、若尾家に5人兄姉の末っ子として生を受けた若尾文子さん。当時は戦時中だったため、宮崎県仙台市に一家で疎開して幼少期を過ごしました。若尾文子さんが15歳のころ、疎開先で母・兄が他界してしまい、その後は姉が若尾文子さんの母親代わりになって育ててくれたといいます。
疎開先から東京に帰ってきた若尾家。母親代わりとなって若尾文子さんの面倒をみてくれていた姉の旦那さんは、大映のニューフェイスの募集広告を見るや、若尾文子さんの写真を勝手に送って応募してしまいます。
すると見事に合格し、1951年、大映に入社することになります。
”性典女優”のイメージを返上し、世間から高い評価を獲得。可憐な存在でありながらも、激しい情念を内に秘めた女性を表現する演技ぶりから、日本映画を代表する正統派女優としても名前が挙がるようになりました。
1971年、大映が倒産すると、若尾文子さんは映画を離れてテレビドラマや舞台に活躍の場をシフトしています。1988年、NHK放送の大河ドラマ『武田信玄』では主人公の母親役とナレーションを務め、「今宵はここまでに致しとうござりまする」のセリフで流行語大賞を獲得しています。
2007年には共生新党の公認候補として、比例区から出馬するも落選してしまいました。
若尾文子さんにまつわるエピソード
”性典女優”のトラウマ
以下は、若尾文子さんのことを紹介した記事からの抜粋です。
koimousagi.com
ちなみに現在ではDVDなど商品化されていますので、代表作品の項目でご紹介させていただきます。