唯一無二のコメディアン・高田純次さん
高田純次さんのプロフィール
高田純次さんの経歴
1947年、東京都調布市に東京ガス勤務の父親と母親の間に生まれた高田純次さん。しかし、高田純次さんが4歳のときに母親が病死してしまい、父親と再婚相手の義母といった家庭環境で育ちました。
1971年、自由劇場の舞台を観て刺激を受け、俳優を目指し、そのまま研究生となります。自由劇場は1年で退団し、ともに退団したイッセー尾形さんと劇団『うでくらべ』を結成しますが、その劇団も10カ月ほどで解散しています。
この再会が転機となり、宝石販売会社を辞め、1977年、劇団東京乾電池に入団して再び芸能活動を始めます。しかし、当初はなかなか売れず、副業しながら辛うじて生計を立てる極貧生活が続きました。
1985年、高田純次さんにとって転機となるバラエティー番組『天才・たけしの元気が出るテレビ‼』が始まります。われわれミドルエッジ世代には金字塔といえるお笑い番組『オレたちひょうきん族』にも出演し、高田純次さんの存在が全国に知れ渡るようになりました。
1990年代からはクイズ番組にも出演し、レギュラー解答者としても活躍されています。
1994年に放送開始された中京テレビのグルメ情報番組『PS』では司会を務め、現在も放送が続く長寿番組として人気を集めています。
テキトー男としての印象はすっかり世間に定着しており、現在も幅広いジャンルの番組で活躍していて、その勢いは止まることを知りません。
高田純次さんのレジェンド
3000万円のダイヤの指輪を食べる
お笑い番組『天才・たけしの元気が出るテレビ』で見せた高田純次さんのレジェンド映像です。女優・清川虹子さんの自宅でやりたい放題の傍若無人ぶりが凄すぎます。
面白トークが凄い
主にトーク内容をまとめると、
・ポルノ男優として活躍
・初代ブラックデビルだった
・企画ものソングの帝王
といったものです。
動画後半では愛娘・裕子さんとの共演や奥様との馴れ初めなども語っていまずので、ぜひご覧になってください。
出オチの先駆者
基本的には普通に登場できない高田純次さん。最近は出オチという言葉も一般的になってきましたが、そのルーツは高田純次さんにあるのかもしれませんね。
『笑ってはいけない』にも出演
大晦日の名物番組となった『ガキの使いやあらへんで!絶対に笑ってはいけない』シリーズ。高田純次さんはダウンタウンを笑わせる刺客として登場し、一行を爆笑の渦に巻き込みましたね。
数々の名言・迷言
常軌を逸した行動に、適当すぎる明言の数々が面白いです。そんな高田純次さんの名言をまとめた動画も紹介したいと思います。
高田純次さんの主な代表作品
映画
『ビッグマグナム黒岩先生』
内容&あらすじ
『ホームカミング』
内容&あらすじ
テレビドラマ
内容&あらすじ
内容&あらすじ
バラエティー
内容&あらすじ
内容&あらすじ
内容&あらすじ
最近の高田純次さんの活動ぶり
コメディアンとしての活躍が目立つ一方、俳優・役者としても活躍していた高田純次さん。そして、意外なことに、自らが所属する芸能事務所テイクワン・オフィスの社長としての顔もお持ちです。
テキトー男というのは、あくまでも芸風で、本当はとても真面目な性格だといいます。
中京テレビ『PS純金』は現在も放送が続いており、司会の高田純次さんは素で出演されています。バラエティー番組だけではなく、街ぶら・トーク番組などにも出演されており、高田純次さんはまだまだ進化されているようです。
年齢的には70歳を超えているのに、テレビ画面では元気いっぱいで、私たちを楽しませてくれています。テキトー男ぶりも健在なので、これからのテキトー発言や新しい伝説にも期待できそうですね。さらなるご活躍を祈って、今回の記事を締め括りたいと思います。また気になる有名人を取り上げて記事にしていきますので、また別の記事でお会いできれば嬉しいです。
 
     
     
            




