悪役商会のボス・八名信夫さん
八名信夫さんの経歴
父親は国鉄線・岡山駅の助役をしており、終戦後には退職し、芝居小屋も兼ねた映画館を営んでいたそうです。1935年、八名信夫さんは姉に次ぐ長男として八名家に生を受けます。
1945年、9歳のときに岡山大空襲に遭い、一家で後楽園に逃げたというようなエピソードも残っています。終戦後、まだ幼かった八名信夫さんはアメリカ兵がキャッチボールをしている姿をみて野球を始めました。
高校卒業後も野球に打ち込むため、八名信夫さんは明治大学に入学。野球部でが投手としての将来を期待されていましたが、先輩からのしごきに耐えられず、2年生のときに中退されました。
それ以降も一軍で起用されますが、3年目の近鉄パールスとの試合で腰を骨折し、選手生命を断たれて現役を引退されています。
しかし、ライバルの多い俳優業において、自身の売り込むため、身体が大きい自分が撃たれたほうが迫力のある映像になると宣伝し、悪役のイメージが定着するようになります。
近年は悪役のイメージから離れ、優しいお爺さんなどの役にも挑戦しており、個性派俳優としてのご活躍も目立ちます。2016年には自ら初の監督を務めた映画『おやじの釜めしと編みかけのセーター』を制作され、翌年2017年には無料上映会というかたちで公開されました。
八名信夫さんにまつわるエピソード
悪役商会の規律
あくまで役のみに徹するのであって、実態が伴なっていてはいけないということですよね。
結成時から老人ホームや刑務所を慰問するボランティアにも積極的で、その活動は現在も続いています。ミドルエッジには悪役商会を紹介した記事もありますので、そちらも併せてご覧になってみてください。
今も健在・全員悪人!『悪役商会』!! - Middle Edge(ミドルエッジ)
キューサイの青汁CM秘話
八名信夫さんは撮影に立ち会っていた社長に直接、CMで「まずい」と言えないかと尋ねたところ、それだとマイナスイメージしか与えないから「もう一杯!」と加えようといった話の流れになったのだといいます。
結果的にCMはブレイクして3カ月だった最初の契約は、1986年から2018年まで続くことになりました。このイメージが世間に浸透すると、役者としても善人役のオファーがくるようになったとのこと。八名信夫さんにとって、人生の転機になった仕事であるのは間違いないですね。
 
     
     
          




