名家出身で注目された女優・久我美子さん
久我美子さんの経歴
翌年の1947年には学習院を中退し、映画『四つの恋の物語』に出演して女優デビューしました。
この頃、五社協定が締結されており、専属契約を結んだ女優は他社作品に出演できないという背景がありました。この問題を解決すべく、1954年には女優仲間の岸恵子さん・有馬稲子さんとともに『文芸プロダクションにんじんくらぶ』を結成しています。
1965年、『文芸プロダクションにんじんくらぶ』は映画製作に発生した多額の債務を負い、興行不振も重なったことで事実上の倒産。
1984年、56歳の若さで夫・平田昭彦さんが死去。十二指腸潰瘍から回復したばかりで、特撮映画『ゴジラ』に長官役での出演も決まっていましたが、その身体はすでに癌性リンパ管症に蝕まれており、その出演が叶うことはありませんでした。
1990年代までは女優として芸能活動するも、2000年以降は事実上の休止状態にあります。
しかし、正式に引退を表明しておらず、現在も芸能事務所・ワタナベエンターテイメント所属のままです。
久我美子さんにまつわるエピソード
凄すぎる実家の系図について
久我美子さんのご実家・久我家は由緒正しい家柄で、その由来は平安時代まで遡ります。第62代天皇を務めた村上天皇を先祖とする公家の名門で、家格では第二等の筆頭に上げられるほどです。
そのため、同じ漢字を書きながら、名字は『久我(くが)』の名乗り、名前も本名の『はるこ』から芸名は『よしこ』と読み方を変えていました。
 
     
     
          



