ウィークリーマンションって何?

画像はツカサのウィークリーマンションではありません。
川又社長を説明する前にウィークリーマンションってとなると思うので説明します。
まあミドル世代は、当然知ってると思いますが、短期賃貸マンションの事で、(一般的には1週間 - 数ヶ月程度まで)の滞在を目的としたマンションの事です。
名前の通り一般的にはウィークリーマンション、マンスリーマンションと呼ばれる。
一般の賃貸住宅みたく敷金・礼金・保証金や保証人など無く、家財道具もほとんどそろっていて銭さえ払えば直ぐに入れるというモノでした。(勿論現在もウィークリーマンションは存在します)
そのウィークリーマンションを日本に初めて導入したのが、ツカサのウィークリーマンションで社長が川又三智彦さんだったのです。
また覚えやすいCMで80年代は、ほとんどの方が知っていたのではないでしょうか。
川又 三智彦(かわまた さちひこ)プロフィール

本名 川又 幸彦
生年月日 1947年9月1日(73歳)
出身 栃木県
川又 三智彦 | Facebook
経歴

エバンストン・キャンパスのアーチ
1947年に栃木県で誕生した川又さんは、神奈川県横浜市都筑区にある中高一貫の私立サレジオ学院高等学校を卒業後、米国ノースウエスタン・ミシガンカレッジに留学されました。
しかし川又さんが21歳の時に、父親が脳梗塞で倒れ急遽帰国し、一旦日本国内の会社に就職したのですが、数ヶ月で退社し家業の不動産業「司建物管理有限会社」に入られ、母親と一緒に不動産屋を始めました。(1973年には社長に就任。)

画像はイメージです。
当時、「司建物管理有限会社」では、木造のアパート物件を主に仲介していたそうです。
ただ都心では、老朽化が進んだ古いアパートよりも狭くても新築ののワンルームマンションの方が人気があり経営が厳しかったと言います。
ツカサのウィークリーマンション
経営が厳しいなか閃いたのが、川又さんが、アメリカに留学していた時に住んでいたアパートが、「敷金・礼金・保証金や保証人」無しで「家財道具・食器等一式」が付いたアパートだった事からヒントを得て、家具・家電付きの短期賃貸住宅だったのです。
その時、呼び名も「ウィークリーマンション」という新しい賃貸の形式を打ち出したのです。
当初は苦労ばかり・・・。

こちらは、典型的なラブホテル
1985年にウィークリーマンションをスタートさせたのですが、当時は旅館業違反をしているとか、ラブホの様な使われ方をするのでは?とか地方で何か犯罪など起こした人が潜伏先にするのでは?
等と周囲に言われ近隣住民から妨害もあったと言います。
大ヒットに!!
テレビでCMが放送されると覚えやすいCMが良かったのか、ツカサのウィークリーマンションは大ヒットしました。
特に長期出張のサラリーマンや保証人等いない、訳ありの方を中心に大人気となったのです。
今では賃貸住宅のの一つとして多くの不動産業者も参入していますね。
バブルの波にに乗り!!
80年代後半は、丁度バブル時期で、川又社長も「ツカサのウィークリーマンション」がヒットすると銀行から「お金をジャンジャン融資するので、ウィークリーマンションをドンドン建てて欲しい」と持ち掛けられたそうです。
で、川又社長もウィークリーマンション建設の為、銀行融資を受けてバンバン建てていました。
最終的には・・・。
50社の銀行から1400億円の融資を受けて、物件は47棟、部屋数は4000室まで増えたと言います。
で、年商も80億円まで成長し総資産もピーク時で3000億円までなったと言います。
まさにバブルの不動産王状態でした。
バブルが弾けると・・・。

廃墟マンション
それまで、川又社長に銀行は、顔を見れば「借りて下さい」だったのにバブル崩壊後、一転し「今すぐ全額返済して下さい」と態度が変わったと言います。
【総量規制】が原因。
貸金業者から借りられるお金の総額の上限を規制する法律です。
また不動産の価値を落ち着かせる為、金融機関に対して不動産融資を制限すること。
で、結果バブル崩壊で経営が厳しくなり多額の借金が残ったと言います。
そして1999年にはウィークリーマンション事業をリーマン・ブラザーズに売却し、支援を受けてなんとか救われたそです。
しか~し!!

リーマン・ブラザーズ・ホールディングス
そう、ツカサの経営危機を救ったアメリカの投資銀行のリーマン・ブラザーズが経営破綻してしまったのです。
2008年の有名なリーマン・ショックですね。
で川又社長も巻き込まれ、2009年に「司建物管理有限会社」は経営破綻し、更に830億円の負債を抱えてしまったのです。
ピーク時の総資産3000億円から830億円の借金となってしまい、川又社長は自己破産しました。
桁が凄すぎて想像つきませんが💦830億円の借金て・・・。
結婚やお子さんは?

川又さんは、結婚され2人のお子さんがいました。
バブル時期は、かなりの豪邸でバブリーな生活をおくっていたと言います。
しかし、生活が一転して銀行や借金取りが自宅に現れる様になった頃に耐えられなくなったのか、お子さんを連れて出ていってしまったそうです。
つまり、ご家庭も崩壊された様です。
現在の川又さんは?

2016年9月2日『報! THE フライデー』に久しぶりにメディアの前に登場されました。
番組では、2016年以降、福島県猪苗代町に移住し、「会津昭和30年代村」企画を進めていると言います。(昭和30年代のような村を作るがコンセプト)
何でも、この計画は2000年ごろから暖めていたもので具体的になったのは2005年だとか。
内容としては、廃業した民宿を再利用し、建物を改築してデイサービスにする計画。
住む場所と食事は川又さんが提供しデイサービスや畑仕事、建物の修理保全で収入を得て
採算が合った所で報酬を払うシステム。
更に町に若者を呼びこむため、ドローン操縦者を育成する学校を始める予定だと言います。
現在川又さん73歳バイタリティー溢れています。
今後も期待ですね。
昭和30年代村 - ホーム | Facebook
最後に・・・。
いかがだったでしょうか?
また面白そうなネタがあったらまとめてみたいと思います。
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