現在もマルチに活躍している俳優・風間杜夫さん
風間杜夫さんのプロフィール
風間杜夫さんの経歴
しかし、当時から、子役時代に売れると俳優として成功しないといったジンクスがあり、子役として売れっ子だった風間杜夫さんは、俳優・演出・作家として活躍していた米倉斉加年さんから、俳優の仕事を一生続けたいなら子役の仕事は辞めたほうがいいとアドバイスされたそうです。その言葉に従うように、13歳のときに東映児童演技研修所を退団し、子役としての仕事から身を退いたといいます。
劇団『俳優小劇場』は幹部たちの間で揉め事が多く、入団して間もなく解散騒ぎに発展。当時、養成所に収めていた費用を返金してもらうと、同じ境遇の仲間たちが集まり、それらのお金を元手にして劇団『表現劇場』を結成します。その仲間の中には、後にシティーボーイズを結成する斉木しげるさん・きたろうさん・大竹まことさんがいたそうです。
それまで本名の『住田知仁』の名義で活動していましたが、1972年、現在の『風間杜夫』に改名し、日活ロマンポルノの作品に出演して映画デビューを飾ります。1974年にはNHKの大河ドラマ『勝海舟』に初出演。1976年にはフジテレビ系列で放送されたドラマ『娘たちの四季』でレギュラー出演を果たします。
1977年、劇団『つかこうへい事務所』の舞台に出演すると、それ以降も、つかこうへいさんの演劇作品の主要キャストとなります。
風間杜夫さんにまつわるエピソード
麻雀
意外にも風間杜夫さんには雀士といった顔もあり、フジテレビ系列で放送された麻雀バラエティー番組『THEわれめDEポン』にも出演しています。番組内で行なわれたトーナメントでは5連覇を達成しており、これまでに計8回の優勝経験があるほどの腕前です。
CS放送の麻雀対局番組『モンド21麻雀BATTLE』にも出演していて、チーム優勝に貢献するといった活躍ぶりも見せています。こういった腕前をもつ背景として、母親が雀荘を営んでいたみたいで、風間杜夫さんにとって麻雀は身近な存在だったことも大きかったようです。
落語
舞台で落語家を演じたのを機会に、落語の勉強をはじめ、1997年にはテレビ番組で披露したこともあります。立川文志さん・春風亭小朝さんといった大御所の落語会にも出演しており、2006年には明治座にて『風間杜夫と六人の会』を公演しています。
これ以降も横浜にぎわい座にて、年2回ほどのペースで落語会を開催しているようです。
風間杜夫さんの主な代表作品
映画
『蒲田行進曲』