馬場、猪木らと対決したWWE殿堂者、ボブ・アームストロングさん死去。
60年代から80年代にかけて活躍し、来日時にはジャイアント馬場、アントニオ猪木らと対戦したプロレスラー、ボブ・アームストロングさんが、骨がんのため8月27日に亡くなっていたことが明らかとなりました。80歳でした。
第一報はこちらです!
アームストロングさんは1939年10月、アメリカ・ジョージア州生まれ。海兵隊、消防隊員を経て、60年代よりプロレスラーとしての活動を開始し、1968年の初来日ではタッグマッチでジャイアント馬場と対戦しました。さらに1972年には、ジム・ドランゴ名義で新日本プロレスの旗揚げシリーズに参戦、アントニオ猪木とシングルマッチを行うなど、カール・ゴッチに次ぐ外国人のエースとして日本のプロレスファンから脚光を浴びました。
来日以降はアメリカ・アラバマ州のSECW(サウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリング)などに定着し、NWAアラバマ・ヘビー級王座を獲得するなど現地のトップレスラーとして君臨。80年代後半まで活動を続け、引退後の2011年にはこれまでの功績から「WWE殿堂(※)」に迎えられています。また、4人の息子もプロレスラーとして活躍しており、伝説的なアームストロング一家の家長としても知られていました。
(※)
プロレス団体・WWEが主催する、プロレス界で顕著な活躍をした人物を表彰する制度。過去にはアンドレ・ザ・ジャイアント、ボボ・ブラジルらが殿堂入りしています。
WWEが公式に追悼動画を公開しています。
ボブ・アームストロングが来日時に対決した日本人とは?
60年代後半~70年代前半に来日し、日本でも一定の成功を収めたアームストロングさん。1968年8月には日本プロレスに初来日を果たし、その際にはヘイスタック・カルホーン、ルーク・グラハムらとタッグを組み、タッグマッチによりジャイアント馬場と対戦しました。
その後地元ジョージアでの活動を経て、1972年3月に再来日を果たしたアームストロングさん。その際にはジム・ドランゴという変名を使い、新日本プロレスの旗揚げシリーズに参戦しました。レスリングで五輪出場経験もある伝説的プロレスラー、カール・ゴッチに次ぐ外国人レスラーとして、ジョン・ドランゴ(ダレル・コクラン)と組んで豊登・山本小鉄のコンビに対戦を挑みました。

豊登道春

山本小鉄
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また、この旗揚げシリーズにおいてはシングルマッチでも活躍。アントニオ猪木とのシングルマッチを2回行い、日本のプロレスファンを沸かせていました。
このように、アメリカのみならず日本のプロレス界にも確実に足跡を残したアームストロングさん。そのプロレスの遺伝子はプロレスラーとして活躍する4人の息子、スコット、ブラッド、スティーブ、ブライアンにも受け継がれ、「アームストロング一家」としてこれからもプロレスの歴史に刻まれていくことでしょう。ご冥福をお祈り申し上げます。
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