あべ静江
「ちーさま」といえば松山千春ですが、今回は「しーちゃん」です。「ちー」と「しー」では大違い!あべ静江です。彼女を初めてテレビで観た時には日本中の男どもは皆腰を抜かしました(大袈裟)!なぜかといえば、上品だったんですね。とっても。物腰が柔らかいといいますか、大人の魅力といいますかね。

あべ静江
多くの人が彼女を観たのは1973年のデビュー曲「コーヒーショップで 」でしょう。当時、あべ静江は21歳です。この曲によって一気にブレイクするのですが、あべ静江のデビューは意外に早く、小学生の時から地方のテレビ・ドラマに出演しているんです。そして東海学園女子短期大学在学中に東海ラジオで人気DJとなり、全国区デビューへとつながるわけです。
コーヒーショップで
名古屋方面の方は幸せですね。短大時代の あべ静江の声が聞けたんですからねぇ。羨ましい限りです。当時の中・高校生たちはたまらんかったでしょうね。
ま、それが話題となって、1973年5月25日「コーヒーショップで」でデビューとなります。

コーヒーショップで
デビュー時のキャッチフレーズは、「フリージアの香り」。ホントか?ホントにそんな香りがするのか?と、世の男性達はザワついたと思いますが、きっとそんな香りがしたのでしょう。いかにも、しそうです。フリージアがどんな花なのか知らないくせに、当時の中・高校生はザワついたのです(たぶん)。
罪な花ですねフリージアって。このフリージア問題は、1988年に松田聖子が「旅立ちはフリージア」をリリースした際にも起こりました(ウソです)。
曲もいいですが、やはり、何よりもキレイですよね、あべ静江が。見とれてしまいます。21歳ですからねぇ。当時は何にも疑問を持つことなく、20歳を過ぎた女性はこんな感じなんだろうなと思っていましたが、改めて観ると大人っぽいですね。というか、今の21歳が低年齢化しているというかね。まぁ、それはともかく、顔も声もホントに美しいです!
みずいろの手紙
大ヒットした「コーヒーショップで 」の勢いそのままに、セカンド・シングル「みずいろの手紙」がリリースされたのは同年の9月25日でした。

みずいろの手紙
売上としては「コーヒーショップで 」の方が良かったのですが、曲は甲乙付け難いですね。ジャケットは「みずいろの手紙」の方が良いように思います。最近、何かと話題になっている沢尻エリカに似ていると一部で言われていますが、なるほど確かに似てるとこありますね。まぁ、どちらも美人です。美人は何人いても大歓迎です。
この映像は1974年12月末に放映された「第25回NHK紅白歌合戦」の時のものですね。冒頭のセリフが紅白用にアレンジされています。オリジナルは「お元気ですか? そして今でも愛していると、言って下さいますか?」です。う~、言われてみたい!
トラック野郎 爆走一番星
あべ静江は、1979年までコンスタントにシングルをリリースしていますが、それと並行して女優にも挑戦するんですね。最初は1974年のテレビ・ドラマ「真夜中のあいさつ」で、90分の単発ドラマですが、あべ静江はマドンナ役です。
映画の初出演は、1975年の「トラック野郎 爆走一番星」になります。
「トラック野郎 爆走一番星」での役どころもマドンナですね。分かります。もうね、この頃の あべ静江はマドンナ役がピッタリです。美しいにも程があるってなもんでしたからね。
私は小鳥
女優として軌道に乗り始めた1975年に、歌の方でもスマッシュヒットが生まれます。チューリップの財津和夫が手掛けた「私は小鳥」です。

私は小鳥
この曲はチューリップも歌っていますが、あべ静江の方がテンポが速くて良い感じです。シングルと言うことを意識してアレンジされたのでしょうね。で、またまた映像がね、美しいわけですよ。
マイクの持ち方もイイですね。ただ、当時の流行りだったのでしょうが、紗がかかり過ぎでしょう。せっかくの美貌がボケちゃって。
まぁ、今となってはそれは仕方ないですね。で、曲の方はこの後も財津和夫とのコラボが続きます。ジャケットが最高な 1976年3月25日にリリースされた「心の音 」。

心の音
更には1976年7月25日にリリースされた「いたずら書き 」と続き、財津和夫とのコラボはシングル3部作となります。

いたずら書き
このジャケット何をしているところなのか分かりませんが、アップばかりでなく、こうしたスナップ・ショットも趣があっていいですね。
この3枚のシングルは あべ静江ファンだけではなく、チューリップ(財津和夫かな)のファンも押さえておきたいところですね。
ヘイ!セニョリータ
財津和夫とのコラボの後にも、杉田二郎が作曲した「ゆらめき」や佐藤健が作曲した「長距離電話」など、なかなか興味深いシングルをリリースしていますが、1979年7月21日にリリースされた15枚目のシングル「ヘイ!セニョリータ」をもって一旦歌手活動に区切りをつけ、以降は女優に専念することになります。

ヘイ!セニョリータ
ファンであれば、いえ、ファンでなくても、これだけ美しければイメージ・ビデオや写真集が欲しいと思うのが人情というものではないでしょうか?まぁ、当時イメージ・ビデオなるものはないわけですが、写真集ならあります。1974年の「季刊Pop・Po ’74 SPRING NO.7」がそれです。

季刊Pop・Po ’74 SPRING NO.7
写真集と言っても現在のようなしっかりしたものではありませんが、ポスター付というのが嬉しいところですね。よくぞ作ってくれました!感謝しかありませんが、感謝ついでにヘア・ヌード写真集とかもやってほしかったですねぇ。あ、いや、ナシナシ。そんなものは出してはイカン。「しーちゃん」はそんなことしない!そう、これでいいのだ。