コント赤信号
コント赤信号は、3人からなるコントグループ。略称は赤信号。
元々明治大学の落語研究会の同期だった渡辺さんと小宮さんがお遊びでコントをやっていたところに、テアトル・エコー研修生だった石井さんが加わり、3人で1977年10月からコント活動を始めたのがグループのスタート。
国立音楽大学の学園祭の司会とコントをしたときに、初めて「コント赤信号」を名乗ったのが「コント赤信号」の始まりでグループ名は渡辺さんが命名したそうです。
メンバー プロフィール
渡辺正行
ラサール石井
小宮孝泰
修業時代
1978年に「コント太平洋」の紹介でストリップ『渋谷道頓堀劇場』へ赴いて杉兵助さんに弟子入りします。
1978年11月に正式なプロのコメディアンとなり、杉さんの書く幕間コントに出演して修業を積んだと言われています。
ただ、この頃の「コント赤信号」は後のコントとは別物で、私も記憶に残らないくらい、覚えていません💦ただ、つまらなかった!という印象しかありません。
解散決定の矢先!
なかなか芽が出ず「コント赤信号」は1979年には解散が決まっていたそうです。
そんな時に「ゆーとぴあ」のホープさんの提案により「ゆーとぴあ」のコント大会に参加することになり、それまでの杉兵助さんの書いたコントに替わり、解散前に1本だけのつもりで渡辺さんが書いた台本を元に3人で練り上げた暴走族コントが生まれたそうです。
渡辺さんをリーダーにして、スタイルに変更したコントは評判も良く、大ブレイクするようになり『花王名人劇場』で1980年にテレビデビューが決定しました。
更には『おはよう!サンデー』で初レギュラーにも。
1984年には「赤信号劇団」がコント赤信号オールメンバーにより旗揚げされています。
因みに、現在殆ど活動をしていない今でも「コント赤信号」は解散していません。
ギャグ
コント赤信号を有名にした暴走族コントは渡辺さんが設定を考案し「福助の足袋」「丸井よ」のフレーズや偏差値ネタは渡辺さんが書いた台本が基本となっているそうです。
80年代当時、若者の間ではカードと言えば、クレジットカードよりも丸井の赤いカードでしたもんね。
私も丸井のカードでアホみたいにDCブランドを買いあさっていた時期もありました💦