90年代を代表する天才ゲームクリエイター・飯野賢治とは?
皆さんは飯野賢治というゲームクリエイターをご存知でしょうか?90年代から2000年代にかけて「Dの食卓」「エネミー・ゼロ」といったヒット作を量産し、「天才」の名を欲しいままにした人物です。
こちらが飯野賢治。
生い立ち~「ワープ」設立まで
飯野賢治は1970年、東京生まれ。小学生の頃にYMOに衝撃を受け、電子音楽を始めるためにパソコンを入手したのがゲームクリエイターとしての始まりでした。そして、小学校高学年のときに制作した「十和田湖殺人事件」がゲームコンテストで入賞。
そして1988年、ゲーム制作会社のインターリンクに入社。ゲームクリエイターとしてのキャリアをスタートさせ、翌1989年にはゲームの下請け会社であるEIMを設立。さらに、1994年には株式会社ワープを設立しました。この時期に制作に携わったゲームは「SDヒーロー総決戦 倒せ!悪の軍団」「獣王記」などがあります。
SDヒーロー総決戦 倒せ!悪の軍団(1990年)
獣王記(1990年)
「ワープ」設立後はヒットを量産!!
1994年に株式会社ワープを設立した飯野は、翌1995年に「Dの食卓(3DO版)」を発表。3DCGで映画的な演出を施した同作は大ヒットとなり、その年の「マルチメディアグランプリ'95 通産大臣賞」を受賞しました。
1996年、「エネミー・ゼロ」を発表!
翌1996年には、セガサターンから「エネミー・ゼロ」を発表。パソコンにも移植されるなど、60万本を記録するヒットとなりました。「エネミー・ゼロ」は当初プレイステーションからの発売が予定されており、それが開発停止となりセガサターン版が開発されることとなったのですが、その発表をソニー主催の「プレイステーションエキスポ」で行いました。このエピソードは後年“エネミー・ゼロ事件”と呼ばれています。
1997年、「リアルサウンド 〜風のリグレット〜」が話題に!
1997年には、画面表示が無い“音だけでプレイ”するゲーム「リアルサウンド〜風のリグレット〜」をセガサターンから発表。音を聞いてストーリーを楽しむという斬新な本作には賛否両論があったものの、脚本、音楽、俳優陣に一流どころを揃えた良質なラジオドラマとなっています。
21世紀に入り、ゲーム分野に留まらない活躍を見せる!
90年代にヒット作を連発した飯野ですが、2000年にはスーパーワープを設立、代表取締役社長に就任しました。その後、同社は社名をフロムイエロートゥオレンジに変更、ゲーム制作のみならず「自販機の自動決済」「デパートのタッチパネル案内板」といったITにおける幅広い分野への参入を行いました。また、飯野自身も2003年に文芸誌「ファウスト」で小説を発表するなど、マルチな才能を発揮しました。
2013年、突然の死去。
執筆や原発関連の活動など、ゲームクリエイターという枠に留まらない活動を行っていた飯野ですが、肥満による高血圧に悩まされており、ダイエットによる減量に成功していたものの、2013年2月20日、高血圧性心不全のため東京都内の自宅で死去しました。42歳の若さでした。
飯野が遺した最後のツイート(2013年2月17日)
飯野の訃報はゲーム業界を中心に衝撃を与え、ゲームクリエイターの上田文人は訃報に際し「飯野を意識して仕事をしていく」とコメントし、早すぎる天才の死を悼みました。彼が亡くなってから早6年の歳月が流れましたが、「Dの食卓」「エネミー・ゼロ」といった彼の遺した名作の数々は、人々の記憶の中に残り続けていくことでしょう。
飯野賢治を更に詳しく知りたくなった方はこちらで!
公式サイト
飯野賢治 Kenji Eno(@kenjieno)さん | Twitter
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