THE YELLOW MONKEY(イエモン)
THE YELLOW MONKEY(イエモン)
イエモン、再集結後『THE MUSIC DAY』で初歌唱!司会は嵐・櫻井翔が務める - Middle Edge(ミドルエッジ)
イエモンの歩み
ダサくてシニカルな名前にしたい=「イエローモンキー」
結成、デビュー
メジャーデビュー
路線変更、ブレイク
レコード会社移籍後
PUNCH DRUNKARD TOUR
外部プロデューサーの導入
「PUNCH DRUNKARD TOUR」終了後、バンドサウンドを見直すためのミーティングが行われ、シングル作品に朝本浩文、森俊之、笹路正徳などの外部プロデューサーを導入する新しい展開を行う。
後に吉井は「そういう悪い状況で、自分の楽曲を他人に委ねる時点で終わっている」といった否定的な発言を多く残しているが、反面「このまま手癖で続けるわけにもいかず、30代、40代とバンドを続けていくために必要なことだったのも事実」とも語っている。
8thアルバム『8』の楽曲のレコーディングのためにロンドンへ向かった際、当時メンバーが多忙だったこともあり、スタジオに吉井一人しかいないという状況が続く。
メンバーとの温度差を感じ始めた吉井が帰国後、事務所に社長含む関係者を集め「俺をクビにしてくれ」と頼み込み、バンドへの不満を投げかけた。バンドは存続したが、「微妙な距離感が生まれた」と吉井は語っている。
2000年7月にリリースされた22ndシングル『パール』、同年7月にリリースされた8thアルバム『8』は吉井セルフプロデュース作品となった。
『8』のアルバムツアーは行われず、バンドは初となる国内ロックフェスに参加。しかし、そこでの吉井はノーメイクでジャージ姿という格好で出演。「はたから見ても異常、イエローモンキーを引き受けていない」状態であった。
同年12月30日、「CDTV年越しプレミアライブ」に緊急生出演。吉井が「ツアーが終わったら、俺たちプー太郎になっちゃうけど・・・」とコメントした後、23rdシングル『BRILLIANT WORLD』を披露し番組のトリを飾る。これが実質THE YELLOW MONKEYとしての最後のTV出演となった。
2001年1月8日に初の東京ドーム公演となる「メカラ ウロコ・8」を行う。初の大舞台にも関わらず、メンバーはステージ裏で円陣を組んだり会話をしたりすることもなく、淡々としていたという。吉井は「ドームの裏とは思えない。今振り返ると、それだけモンスターバンドだったんだなと思う」と語っている。結果的にこれが最後のライブとなった。
2001年1月~活動休止~解散
THE YELLOW MONKEYは、まさに90年代を駆け抜けたバンドでした。