黒夢 (くろゆめ)
前身バンドGARNETに所属していた清春、人時、鋭葵の三人と、GERACEEに所属していた臣によって1991年に結成される。
1995年3月、日本ゴールドディスク大賞ベスト5ニューアーチスト賞受賞。
1999年1月29日に無期限の活動停止を発表。
2009年1月29日に「清春 15th Anniversary Presents kuroyume "the end" 〜CORKSCREW A GO GO! FINAL〜」として、一夜限りの復活かつ解散ライブを日本武道館において開催。
2011年2月9日に約12年半振りとなるシングル「ミザリー」の発売と、同年2月26日に国立代々木競技場第一体育館でライブ。
2014年7月より、最後のロングツアーというコンセプトを掲げた「BEFORE THE NEXT SLEEP」を行う。
メンバー
清春(ボーカル)森清治 1968年10月30日(50歳)黒夢、SADSでの活動のほか、ソロのシンガーソングライターとしても活躍。
人時(ベース)1972年7月19日(46歳)黒夢解散ライブから1年後の1月29日、活動再開を発表。
旧メンバー
臣(ギター) 1968年3月22日(50歳)現在はソロ活動中。
鋭葵(ドラムス)2013年1月「Nasty Lips」に加入。
HIRO(ドラムス)2009年、ZXSTのシングル「Desparate Departure」にプロデューサーとして参加。
MOON CHILD(ムーンチャイルド)
1995年、佐々木、樫山を中心にしたバンド「タンバリンズ」を前身として、佐々木、渡辺、樫山の3ピースバンドとして結成。
1997年に発売された5枚目のシングル「ESCAPE」(テレビドラマ「FiVE」主題歌)が大ヒット。
1999年に解散。
2013年に佐々木、渡邊、樫山で再結成を発表。1月14日、赤坂BLITZにて再結成ライブを行った。
その後、活動停止状態であったが、2017年1月18日に佐々木のブログ、ネットメディア等でDo As Infinityと対バンを行う事が発表され[4]、3月6日にSHIBUYA O-EASTにて「GREATEST HITS vol.1」のタイトルで4年ぶりのライブが行われた。
2019年2月10日に再びDo As Infinityとの対バンライブを行うことを発表した。
メンバー
佐々木収(ボーカル・ギター)1971年10月26日(47歳)現在はササキオサムとしてソロ、作詞家、作曲家として活動中。
渡辺崇尉(ベース)1971年1月29日(48歳)解散後は佐々木と「SCRIPT」を結成し活動。
樫山圭(ドラム)1970年7月25日(48歳)現在はDIR EN GREYのギタリスト、Dieが率いるDECAYSで活動中。
秋山浩徳(ギター)1970年4月22日(48歳)現在はaiko、槇原敬之、トータス松本らのサポートギタリスト、スタジオミュージシャンとして活動中。2013年再結成には不参加だったが、2017年と2019年の再結成には参加。
BIG MOUTH(ビッグ・マウス)
あっぱれ! 才色兼備
アナウンサーによるバンドで1997年、フジテレビで放送されたテレビ番組「才色兼備」で結成。
1997年9月13日、「Don't Be Afraid」でインディーズデビュー、タワーレコード渋谷店で限定1000枚のCDが発売された。なお、この曲はポニーキャニオンから1999年に発売されたベストアルバム「あっぱれ!才色兼備」にも収録されている為、これが事実上のメジャーデビューとなる。
1999年3月の「才色兼備」終了と同時にバンドも解散。
メンバー
山中秀樹 (リーダー) ドラム
菊間千乃
森昭一郎 ベース
竹下陽平 ギター
佐々木恭子 ボーカル
藤村さおり キーボード
マジック(MAGIC)
1988年5月に上澤津孝と炭谷貴士が出会い「MAGIC」を結成、渋谷を拠点に5人で活動開始し、ストリートライブを行う。
1990年にメジャーデビュー。
1999年春、メンバー2人が所属事務所に解散の意向を表明し、解散。
その後、2017年に上澤津、山口、谷田部、久米の4人で再結成し活動再開。
メンバー
上澤津孝(ボーカル) 1966年9月1日(52歳)現在は沖縄へ移住して株式会社オキロックを設立。ドクターマーチン沖縄などを経営している。2013年には個人のfacebookでソロ活動の準備中であることを発表した。
山口憲一(ギター)1964年10月26日(54歳)2017年 - クリームソーダ50周年のためMAGIC再結成。
久米浩司(ドラム)(1988年 - 1994年のメンバー)
谷田部憲昭(ウッドベース)1968年6月18日(50歳)2002年 - 「SLIC CAT JASUS」を結成。ウッドベース及びコーラスを担当。
旧メンバー
炭谷貴士(ウッドベース)
高橋琢巳(ウッドベース)
小阪浩人(ギター)
菅井敏昭(ドラム)
フィッシュマンズ(Fishmans)
ボーカル、ギターの佐藤伸治を中心として1987年に明治学院大学の音楽サークルのソング・ライツ内で結成。
1999年3月15日、佐藤が死去。これによりバンドは活動を休止する。
佐藤の没後、2004年にはトリビュートアルバムが発表された。2005年にRISING SUN ROCK FESTIVALでゲストボーカルを交えて復活ライブを敢行。2009年8月にはSWEET LOVE SHOWERにてUAをボーカルに迎え、「FISHMANS:UA」名義でライブを行った。
メンバー
佐藤伸治 (ボーカル、ギター)1999年3月15日午後3時55分、東京都内の病院で心不全のため死去。具体的な死因は公表されていない。享年33。
茂木欣一 (ドラムス)1967年12月15日(51歳)2001年11月、東京スカパラダイスオーケストラに正式に加入。フィッシュマンズとしての活動も定期的に行っている。
旧メンバー
柏原譲 (ベース)1966年1月28日(53歳)脱退後は音楽を離れデザイナーなどの仕事をしている。
ハカセ (キーボード)1967年(52歳)脱退後はソロやLITTLE TEMPO、KODAMA AND THE DUB STATION BANDのメンバーとして活動している
小嶋謙介 (ギター)1968年12月20日 (51歳)一旦は音楽業界から離れることを決心していたが、佐藤の死をきっかけに音楽業界に戻り、Polaris、OTOUTAとして活動している。
爆風スランプ
ヤマハ音楽振興会主催のバンドコンテストであるEastWest(1981年)にて、最優秀グランプリを受賞した『爆風銃』(バップガン)のメンバーであったファンキー末吉と江川ほーじん、優秀グループ賞を受賞した『スーパースランプ』のサンプラザ中野とパッパラー河合の4人により結成される。
1986年にプロデューサーとして新田一郎を迎え、新田はまず、売れることを目的とした活動を始めることにしたが、江川ほーじんがそれに反発して遂には脱退を決意。末吉の作った曲に、中野が辞めていく江川の姿を詞にして、「Runner」が誕生。
1999年4月に活動休止。
2004年の12月に、当時中野が火曜コメンテーターを務めていた朝日放送「おはよう朝日です」の企画で一夜限りの再結成。
2005年12月19日-20日の2日間限定で、新宿コマ劇場にて、再結成ライブ「45歳のフェス(恋愛の日・青春の日)」を行った。
メンバー
サンプラザ中野(ボーカル)本名、中野 裕貴 1960年8月15日(58歳)芸名を「サンプラザ中野」から、「サンプラザ中野くん」へ変えたことを発表。
パッパラー河合(ギター)本名 河合 靖夫 1960年9月14日(58歳)近年は作曲、TV出演の他、舞台、ドラマの音楽制作も手がけている。
ファンキー末吉(ドラムス)本名 末吉 覚 1959年7月13日(59歳)2018年2月17日、『日本の音楽が危ない〜JASRACとの死闘2899日〜』出版。
バーベQ和佐田(ベース)本名 和佐田達彦 1959年7月10日(59歳)2007年、レコード会社「DAIKYU RECORDS(大久音盤社)」を設立。自身が代表を務める。
旧メンバー
江川ほーじん(ベース)本名 江川芳仁 1961年6月15日(57歳)
(1982年 - 1989年)
VANILLA(バニラ)
93年、ユニコーンを脱退した川西が、野山、坂巻とバンド結成。ソニーにデモテープを送ってきた笹本を発掘し加入。
奥田民生のソロデビューシングル「愛のために」のレコーディング参加。笹本はパーカッション。
95年、「愛をちょうだい」でデビュー。
99年、無期限の活動休止となる。
メンバー
川西幸一(Dr.)1959年10月20日(59歳)
野山昭雄(Gu.)…現WOOHOO、元THE BELL'S、LAUGHIN' NOSE。
坂巻晋(Ba.)…元The Wells。
笹本希絵(Vo.)…1994年6月加入。
Jack & Betty(ジャックアンドベティ)
1997年11月21日 - 「未来がうまれる瞬間」でデビュー。フォーライフ・レコード所属。
1999年6月頃 - 解散を発表。
松永俊彦は「テニスの王子様」(テレビ東京)の主題歌をソロでリリースする等活動中。
高間有一、渋谷憲はバンドJumping Mustardを結成し活動中。
メンバー
メンバー全員の画像が無い為、動画を参照。
中川優美(なかがわ ゆみ、1978年2月14日 - ):ボーカル
松永俊彦(まつなが としひこ 、1965年11月3日 - ):ギター
高間有一(たかま ゆういち、1974年11月14日 - ):ベース
渋谷憲(しぶや けん、1974年9月6日 - ):ドラム
筋肉少女帯
1979年に当時中学生だった大槻ケンヂと内田雄一郎が組んだバンド「ザ・ドテチンズ」(別名ドンズ)が始まり。
1984年、バンド名を「筋肉少女帯」に改め、ナゴムレコードよりインディーズデビュー。
『元祖高木ブー伝説』(『高木ブー伝説』のリメイク) が一躍大ヒット。
1998年。当時の所属事務所の経営破綻。
1999年精神的に疲弊した大槻は翌6月に脱退を表明。内田雄一郎と本城聡章の2人のみとなった筋肉少女帯は事実上解散状態となる。しかし2人は筋肉少女帯の名を守りつづけることを決意。
7月、内田と本城は「解散」ではなくバンドとしての活動「凍結」を宣言した。
2006年に活動を本格再開。