上目使いの眼差し(ザ・ルック)とハスキー・ヴォイスでメロメロに!!
 
  	1945年頃のローレン・バコール
両親がともにユダヤ系であった!!
 
  	ローレン・バコールの赤ん坊の頃
両親はともにユダヤ人で、母親はルーマニア王国出身でエリス島を経由して移民した人物で、ロシア帝国ヴィスワランド (en:Vistula Land) 出身の父親との間にニュージャージーで生まれたという。
 
  	ローレン・バコールが11歳の頃
母娘2人の生活は決して楽ではなかったと思うが、割合裕福な親戚が多かったため、その親戚の援助を受けながら学校に通ったそうだ。幼い頃から女優に憧れていた彼女はバレエのレッスンにも通いながら、マンハッタンの高校に通ったが、ときどきは授業を抜け出して、憧れの大女優ベティ・デイヴィスの追っかけをしていたこともあったとな!!
 
  	女優になる前の頃
 
  	雑誌 「ハーパーズ・バザー」 (1943年)の表紙のモデルを務める
ホークス監督が製作する映画『脱出』(1944年)のスクリーンテスト期間中にローレンは緊張からくる自身の震えを抑えるために、顎を胸に押し付けた姿勢でいたため、上目づかいでカメラに向かうようになった。期せずしてこの目線が「The look(ザ・ルック)」と呼ばれるようになり、その低い声と共にバコールの”トレードマーク”となっていった。
そろそろローレンの映画紹介と行きますか?
その1.映画『脱出』・『三つ数えろ』・『キー・ラーゴ』の3作品は絶対外せない!!
3作品を個別で説明すると時間もスペースも無駄になりそうなので、一応纏めて説明します。
これら3作品ははっきり言えば、ローレンの伴侶になる、OR、なった夫のハンフリー・ボガートと共演したハードボイルド・ミステリー作品で、彼女のハスキーな声と、物言いたげな独特の上目遣いの表情で、一躍彼女の得意ジャンルの一つとなってしまったのだ。
 
  	ハンフリー・ボガート DVD10枚組 BCP-077
ボギーとローレンはその後も『潜行者』(1947)で共演、1949年には長男・スティーヴンが、52年には長女・レスリーが誕生し、円満な家庭生活を送っていた。しかしその後久々に夫婦共演作の話が持ち上がり、準備を進めていたところ、ボギーが食道がんに倒れてしまう。ローレンは献身的に看病したが、1957年1月14日、ボギーは死去。57歳だった。
その2.映画『百万長者と結婚する方法』でワンパターン作風打破!!
 
  	百万長者と結婚する方法 [DVD]
その4.映画『ラスト・シューティスト』で初老の未亡人役を怪演!!
 
  	ラスト・シューティスト [DVD]
 
  	洋画キャビネ写真 [ラスト・シューティスト」より
日本とも意外な関係があった!!
スタジオジブリ作品 『ハウルの動く城』 (2004年/監督:宮崎駿) の英語版で荒地の魔女の吹替えをした。
 
     
    




