「一生一緒にいてくれや♪」のLifetime Respectでブレイクした三木道三
Lifetime Respect(ライフタイム・リスペクト)
三木道三(みき どうざん)
道三は戦国武将『斎藤道三』から
Lifetime Respect発売までの『三木道三』の活動
1993年頃から、地元のクラブを中心にDJとしての活動を開始。ジャマイカに渡って修行を積み、1995年、JAPjam Internationalから7インチシングル「JAPAN一番」でレコードデビュー。
以後、リリースした数枚のシングルやACKEE & SALTFISHとのコラボレーション曲などが立て続けにヒットし、一躍日本のレゲエ界のトップDJとなる。
1996年には、自らの名前を英訳したThree Tree Streetという名のプライベートレーベルを設立。数枚のシングルをリリースし、いずれもヒットを記録。
1997年には、ミックステープ『MIKI-FM1997ヘルス』をリリース。日本のヒップホップのMCたちも大勢参加したこの作品は、ジャンルを越えたヒットとなり、レゲエのみならずクラブシーン全体から注目を浴びることとなる。 さらにMixin'1というプライベートレーベルを設立、「MIKI-FM」の新作となる『MIKI-FM 1998メガヘルス』をCDでリリース。前作を超える大ヒットとなる。
その後、1999年から休養期間に入り、その間に新レーベル・大和レコーディングスを設立。徳間ジャパンコミュニケーションズと提携し、2000年に「斬る!ジャパニーズ」で復活&メジャーデビューを果たす。
2001年には、5月にリリースした「Lifetime Respect」が空前の大ヒット。日本のレゲエ史上初のオリコン1位を獲得し、累計売上は約90万枚、出荷枚数はミリオンセラーを突破し、社会にレゲエシーンを知らしめることに成功する。
活動休止、そして病気・死亡説も流れる
Lifetime Respectのヒットをひっさげ、2002年にはレーベルをあげて、全国47都道府県ツアーを敢行。
しかし、ツアー終了後、無期限の休養期間に入り、歌手活動を休止。
一発屋として名を残すこととなった。
翌2003年にMOOMINの「栽培したい〜世界中で〜」の作詞をして以降まったく音沙汰がなかったが、dozanやInspyaなどの名義でジャパニーズレゲエアーチストの楽曲制作に携わり続けていた。
2008年8月27日にINFINITY16とのコラボレーション曲「侍ノ詩」をリリースした。
2012年、EVISBEATSのアルバム「ひとつになるとき」の、「ギャーテーギャーテー」及び「ちょうどYEAH!」の作詞を担当。
他アーティストへの歌詞提供やコラボ楽曲のリリースなどはあったが、三木道三としての音楽活動は行っていなかった。
活動を目にすることが無くなり、一部ではガンやエイズなどの病気で療養しているとか、死亡してしまったとの憶測が流れていた。
嘘情報まで流される・・・。
なんだこのアルバム!と話題になるが、実際にこんなアルバムは出されていない。
2014年、約12年ぶりに歌手活動を再開
2014年、5月1日にRed Spiderのイベント「OSAKA UP」でシークレットゲストとして登場して会場を驚かした。
三木は自身のTwitterで「大阪Upにちょっと飛び入りさせてもらいました。ちゃんとステージで歌ったのは12年ぶり!」と報告している。
MUNEHIRO(鈴木紗理奈)も三木道三の歌手活動再開を歓迎
ん?でもこのマフィアみたいな人は誰?
DOZAN11は「インディーズデビューもメジャーデビューも、復帰第1曲目も、“日本の応援歌”でのスタートとなりました。日本を元気にできるような音楽を提供していけたらうれしいです。この曲を聴いて歌って盛り上がってください」とコメント。
2014年、11月12日にDOZAN11名義でアルバム「Japan be Irie!!」をリリース。
 
     
     
            




