バラエティ番組「鶴瓶 上岡パペポTV」笑福亭鶴瓶と上岡龍太郎が毒舌トークを展開させた!!

バラエティ番組「鶴瓶 上岡パペポTV」笑福亭鶴瓶と上岡龍太郎が毒舌トークを展開させた!!

バラエティ番組「鶴瓶 上岡パペポTV」は、笑福亭鶴瓶と上岡龍太郎が60分間フリートークをする番組で、ぶっつけ本番の毒舌トークを展開していました。そして、上岡はこの番組によって、東京での仕事を数多く持つようになります。


鶴瓶 上岡パペポTV

読売テレビ制作、日本テレビほかで、1987年4月14日から1998年3月31日まで放送されていたバラエティ・トーク番組。
1988年2月3日放送の回に対し、第25回ギャラクシー賞・選奨を受賞。

鶴瓶上岡パペポTV

【番組について】

番組開始当初は郵政省(現・総務省)が「郵便局」のクレジットで1社提供していたことから、番組の最終コーナーではゆうパックを使った「ふるさと小包プレゼント」を開催していたことがあり、そこで視聴者の感想文に答えていた(のちに郵政省筆頭の複数協賛スポンサーとなってからも続いたが、郵政省はその後スポンサーを降板したため「ふるさと小包プレゼント」は廃止となるが、感想文紹介は行われ続けた)。

笑福亭鶴瓶

1951年12月23日生まれ。本名は、駿河 学。
大阪府中河内郡長吉村長原(現在の大阪市平野区長吉長原)出身。5人兄弟の末っ子で浪速高等学校卒業。
高校在学中、当時大阪で人気だった笑福亭仁鶴や桂三枝(現:6代目桂文枝)に刺激されて、高校に落語研究会を作る。
中退した京都産業大学の落語研究会時代は、童亭 無学(どうてい むがく)、スルガ・マナブと名乗っていたことがある。また、プロになってからtsurubeと名乗っていたこともあった。

笑福亭鶴瓶(しょうふくてい つるべ)

安井金比羅宮で開かれた米朝一門の落語会での6代目笑福亭松鶴の行いを見たことだという。高座に上がった松鶴は「あっ!」と固まった後、見えた僧侶を示して「あの坊さんの頭見たらネタ忘れてもた。オチだけ言うて降りま」と言い、本当にオチだけを言って2分ほどで降りてしまった。それを見て「エライ人や」と思い、松鶴への弟子入りを決めた。

入門を許されて4日目のこと、寄席の来場者の下足番を任された際に、いつも当たり前のように青田(無料、顔パスの意)で入場し横柄な態度で振舞う新聞記者に腹を据えかねて口頭でとがめたところ「お前、辞めさせたるわ、ちょっと来い」と松鶴の楽屋に連れて行かれた。松鶴から下足番を離れたことをたしなめられると、破門などの処分を覚悟してこの経緯を話した。すると松鶴は新聞記者を「アホ! カス! 去ね(帰れ)!」と罵倒し、「この子は将来、あんさんらが取材で世話になる子や! それに対して何をさらす(何をしやがる)!」と言い放った。その男気に、鶴瓶はたまらなく感動したという。その後「鶴瓶」の名を与えられ、松鶴を「おやっさん」として慕い続ける。

笑福亭松鶴との出会い。(画像は松鶴)

落語をしていく一方で、1978年から1989年の間、深夜番組「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」に出演し、フリートークを繰り広げます。そして、1982年に「突然ガバチョ!」の司会で脚光を浴び、東京へ進出しました。そして、1987年に『鶴瓶上岡パペポTV』を務めることになりました。

上岡龍太郎

1942年3月20日生まれ。本名:小林 龍太郎。
京都府京都市左京区出身。子供の頃の夢は、芝居役者だった。
私立京都西高校(現・京都外大西高等学校)第一期生として卒業。高校在学中にロカビリーが流行し、その気に感化される。「同じ落ちるのならレベルの高い大学を受験しよう」と立命館大学の入試に挑むが不合格。これを境に以降、本格的に芸能の道を進む。京都西高校卒業後は京都でバンドボーイ、ジャズバンドの司会などを経験。軽やかな口跡が知られ、ハンサムな司会者として有名になる。その後、浜村淳に弟子入りを申し出るが断られ、ロカビリーバンドを紹介され加入する。

上岡龍太郎(かみおか りゅうたろう)

横山ノックの誘いにより、「横山パンチ」の名前で横山フック(初代。後に現在の青芝フックが2代目として加入)と共にコンビを組む。
「パンパカパーン パンパンパン パンパカパーン 今週のハイライト」
「ノックです、フックです、パンチ(後の上岡龍太郎)です。」
のセリフが印象的だった。

1960年 に漫画トリオを結成。(左から、フック、ノック、パンチ)

しかし、1968年に横山ノックの参議院議員選挙出馬により、漫画トリオ活動停止になります。以後、同時期に香川登枝緒によって命名された「伊井パンチ」と改名した後、自ら上岡龍太郎を名乗るようになります。そして、漫画トリオの停止当初は、ほとんど仕事が無く、ホサれていました。

1970年代、少しずつ近畿圏の放送局や中部日本放送でレギュラーを獲得し、近畿圏と中京圏双方を拠点に活動していきました。そして、自ら営業も行い、レギュラーを獲得していったそのバイタリティが認められ、かつての相方のノックの誘いにより『ノックは無用!』『ラブアタック!』『花の新婚!カンピューター作戦』などで司会者を務め、関西・中京ローカルながら一軍のタレントに昇格しました。

長年、番組中や楽屋裏では「俺は絶対に東京に行かへん!」と語っていましたが、1985年に『森田一義アワー 笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに出演した後、それまで東京では忘れられていた元漫画トリオの横山パンチ=上岡龍太郎として認知され、往時のファンたちが各局のディレクターやプロデューサーに昇格していたことから、やがて東京でも数多くのレギュラー番組を獲得するようになります。

そして、上岡の東京進出への決定打となったのが、『鶴瓶上岡パペポTV』でした。

収録日に配布される入場整理券で、番組を見学

公開収録も原則として事前申し込みが必要なく、予告された収録日に配布される入場整理券を入手すれば、自由に見学することが出来た。整理券の配布は番組開始当初収録日の夕方に配布されていたが、観覧希望者がスタジオの収容限界人数を大幅に上回るファンが集まるようになり、早朝から並ぶ観覧希望者が後を絶たなくなったため当日正午配布に繰り上げられ、その後更に朝9時半に繰り上げられた(観覧希望者は朝に整理券を受け取り一度解散して、夕方に再集合していた)。ただし、後に出演者の両名のスケジュールの都合により2本分のまとめ撮りとすることが徐々に増え、朝から並んで順番を待つことが出来ない社会人などの救済措置を兼ねて2本目は事前にはがき申込みをして抽選に当選した視聴者にだけ公開するパターンが定着して行った。 よみうりテレビ旧社屋で収録が行われていた時代、観客は基本的にカメラの後方で観覧することになっていた(1988年新春スペシャル、1988年6月3日放送分を除く)。そのため、番組のエンディングの際に、鶴瓶・上岡両名が通称「鶴瓶ダンス」をしながら番組セットからカメラの方へ飛び出したり(1987年7月14日放送分)、「浜寺の水練学校」をテーマにした即興漫才が行われた際に、鶴瓶がオチとして「後は任したー!」と叫びながらカメラの方へ泳ぐようにしてフレームアウト(1988年7月8日放送分)というような演出がたびたび行われていた。新社屋移転後は、観客が番組セットの目の前に座って観覧するようになったため、前述のようなことは一切無くなった(例外として、第176回と第370回放送で無観客による収録が行われた際には、昔を懐かしむ形で前述の行為を再現していた)。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B6%B4%E7%93%B6%E4%B8%8A%E5%B2%A1%E3%83%91%E3%83%9A%E3%83%9DTV

鶴瓶上岡パペポTV - Wikipedia

番組セットの様子。

イベントを開催し、「救急車ピーポーパーペーポー」

長居公園には、約2万人ぐらいの人が集まりました。

この時の勝敗は、収録で東京に行った上岡の代理で弟子のテントが、鶴瓶に5回とも倒されている(この「長居パニック」は、後の武道館イベントにつながる)。

なお、同日に行われた大相撲大阪場所の千秋楽よりも人が入っていた。

相撲会場内に入れない人が続出し、なんとか相撲を見ようと倉庫の屋根にも人が・・・。

インパクトのある番宣ポスターを制作

当時はヘアヌードの解禁が話題となっていたこともあり、それに便乗したアイデアと言われている。
また、番組最後で葉書が読まれた視聴者にプレゼントされたが、中には「こんなもの受け取れません」と番組に送り返した視聴者もいたが、強制的に再び番組から送り返されたようだ。

鶴瓶・上岡両名が上半身は燕尾服姿も下半身丸出し(当然モザイク処理されている)で写っており、糸井重里が考案した『見てるあんたも同罪じゃ。』というキャッチコピーがつけられていました。

番組で飛び出した面白トーク!!

番組では、2人が笑える面白い話を沢山していました。

それでは、キーワードとその内容で爆笑しましょう!!(一部紹介)

関連映像

「鶴瓶上岡パペポTV」では、鶴瓶と上岡が持ち前の毒舌トークで毎回、多くの人を笑わせていました。こんな楽しいトーク番組はなかなかありません。是非一度ご覧ください。

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