欽ちゃんのドンとやってみよう!

欽ちゃんのドンとやってみよう!
メインキャスト

萩本欽一の主演番組で、初の企画を担当しています。そのため、相当気合を入れた制作になりました。

アシスタントは、当時新人だった香坂みゆきが務めています。

鉄ドンでは、番組のマスコット的な存在でした。

また歌手の前川清がレギュラーで出演しており、お茶の間の人気者になりました。

この番組で、欽ちゃんは前川清とコント54号としてコンビを組んでいました。

また、前川がリードボーカルを務めていた内山田洋とクール・ファイブもレギュラーで出演していました。
番組について
【番組開始までの流れ】
1968年よりフジテレビ土曜夜8時枠では、欽ちゃんが坂上二郎とのコンビで主演した『コント55号の世界は笑う』が放送されていました。55号としてはもちろん、同時に芸人(チーム名)を冠にした初のゴールデンタイムにおけるカラー放送のバラエティ番組で、体力の限りを尽くした縦横無尽のステージコントは55号人気の絶頂を決定付けることとなり、視聴率30%以上の高視聴率を誇っていました。
しかし、1969年にスタートした後発の『8時だョ!全員集合』の激しい追い上げによって、1970年4月に『コント55号のやるぞみてくれ!』にリニューアルするも失敗、放送期間1年11ヵ月をもって番組は終了しました。当時、『8時だョ!全員集合』は、チョットだけよと言いながら視聴率40%を弾きだしていました。
相手が相手なので万全を期したか、7時半からスタートと、先にチャンネル奪っちゃおう作戦まで導入した甲斐もあって、この番組の出だしは好調だった
http://goinkyo.blog2.fc2.com/blog-entry-339.html欽ちゃんのドンとやってみよう! (1975) - 私的 昭和テレビ大全集
【番組内容】

番組で採用されたハガキには、面白かった順にバカウケ/ややウケ/ドッチラケのランク付けされた箱へ入れられました。なかでも「バカウケ」は当時の流行語になりました。

「母と子の会話」というコーナーがあり、♪ みんな みてくれ 母ちゃんの~ コーントーだぁよ~~ というジングルで始まり、女着物の母親姿の欽ちゃんが踊り出しました。

メイン企画には、コント54号のコントがありました。
【コント54号】のコントネタ「水戸黄門」↓
ほかにも、歌など様々な企画がありました。しかし、番組は所詮は素人の葉書とアドリブ頼りでマンネリになるのが目に見えていました。そこで、一度放送を休止しました。そして、再開後に募集で選ばれた素人たちによる欽ちゃん劇団をメインに持って行きました。

募集で選ばれた東北の旅館の娘で、りんごほっぺと訛りが印象的な、気仙沼ちゃん(真ん中)
http://tohruchan.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/index.html
上記サイトは、ちなみにこのジャケットは、『ヨロシク原宿』というシングルで、小柳みゆきさんが悪い子の西山浩司と『ニックじゃがあず』というユニットを組んで発売したものですの部分を参考にしています。

見かけは気仙沼ちゃんに近いふっくら系のブサイ子キャラ、小柳みゆきさん(右)。
番組の面白エピソード
松崎しげるが歌紹介の時にゲスト出演していました。
欽ちゃんのドンとやってみよう! (1975) - 私的 昭和テレビ大全集
「鉄ドン!」に関する映像
「欽ちゃんのドンとやってみよう!」が一応の成果を収めて終了し、次の段階を伺うべく、再びラジオの世界に戻った欽ちゃんが、ラジオのスタッフにいた若手作家によって放送台本の片隅に、その週のテーマとして何気なく書かれた「良い子悪い子普通の子」という文字を見て、「コレだ!」と次への構想をひらめきます。
そして、1981年4月6日から1983年9月12日まで、フジテレビ系列の月曜21時枠に『欽ドン!良い子悪い子普通の子』が放送され人気になりました。その後、数々の『欽ドン!』シリーズが誕生していくことになります。
「欽ちゃんのドンとやってみよう!」は、欽ちゃんの素人いじりがとても面白く、コントはなかなか笑えるものが多くありました。是非、観る機会があったらご覧ください。
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