『みちづれ』は牧村三枝子の12枚目のシングル

ヒットまでの道のり
ヒット曲も多数あり、順風満帆な歌手人生を歩んでいるように見える牧村さん。しかし最初のヒット曲となった『みちづれ』に出会うまでは大変な苦労があったそうです。
2016年にテレビ番組でエピソードを語られていました。
牧村三枝子さんは、北海道美唄市出身の5人兄弟の末っ子として生まれました。

北海道美唄市
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炭鉱夫であった父が、40代後半になると長年の炭鉱勤務による疲労から、体が衰弱し、ほとんど働くことが出来なくなりました。牧村さんはまだ小学校に入るか入らないかの頃です。
そして母の食堂での皿洗いだけが収入源になります。
暮らしぶりといえば、6畳一間に家族7人がすし詰め状態。極貧生活だったそうです。

牧村さんが15歳のとき、歌手になることを決意。上京し、釣り具店で働きながら歌手の道を目指します。
19歳の時に『少女は大人になりました』で歌手デビュー。しかしその後レコードを数枚出すものの全く売れなかった。一方で両親が暮らす美唄でも炭鉱が閉山してしまい、両親は完全に職を失い、そんな両親を放っておけず、牧村さんは、わずかな稼ぎから仕送りをし続けました。

渡哲也に『みちづれ』をいただく
レコードがなかなか売れない苦しい時期が8年程度続きました。
そんなある日、所属レコード会社の先輩歌手にあたる渡哲也さんのシングル曲『みちづれ』を偶然聞き、この曲を歌いたいと直談判したのです。

その結果、渡さんは快諾してくれたのです!!
さらに渡さんは牧村さんのために自分の『みちづれ』を廃盤にし、牧村三枝子さんのレコードが自分のレコードと間違いなく売れるように配慮してくれたそうです。
なんて素敵なエピソードなんでしょうか!渡さんの男気を感じますね。
そんなエピソードを聞いてしまうと、渡さんのレコードも欲しくなっちゃいます!!
そんな牧村さん、現在も独身なのですが、その理由は牧村さんいわく『結婚したい男性は、先輩でお世話になり『みちづれ』を私に下さった渡さん、亡くなった石原裕次郎さんの二人だけ。私が21歳の頃にそのお二人と出逢ってからは、他の男性に一切目が行かなくなった」とのことです。
確かに、20代のころにこんな男気ある二人に出会ってしまったらほかの人に目がいかなくなるのも分かるかも。。
牧村美枝子の『みちづれ』がロングヒットに
牧村美枝子の『みちづれ』はオリコン週間シングルチャートで1979年4月30日付から1980年1月21日付まで38週連続で20位以内にチャートインするロングヒットとなり、1979年の日本レコード大賞 ロング・セラー賞を受賞されました。
『みちづれ』のカバー曲
テレサ・テン
美空ひばり

中国語でもカバーされています
沢山のアーティストに歌われています
現在も演歌歌手の活動を続けられています
2002年頃、「肝硬変」と「食道静脈癌」を患いながらも演歌仲間である小林幸子さんや、北島三郎さん、山本譲二さん、細川たかしさんに励まされ、余命5年と宣告されていたところから2年間の闘病生活の後に無事に復帰されました。
支えてくれた演歌仲間がいたからこそ、現在も演歌歌手としての活動を拝見することが出来るんですね。テレビで拝見するように本当にみなさん仲が良くて素敵です!
『みちづれ』 牧村三枝子 関連情報
幼いころから親元を離れ上京し、長い間ヒットに恵まれなかった牧村さんですが、渡哲也さんの『みちづれ』を自ら譲ってもらい、見事ヒットされました。きっとこの功績は、牧村さんの努力と人柄のたまものだと思います。これからもお体大事にされながら歌手活動を続けていってほしいです。