アラベスクとは?

当時、新宿界隈のディスコでアラベスクの曲が流れないディスコは無いとまで言われていた。
Arabesque) は、1977年にデビューし、1984年頃まで活動した西ドイツ(当時)の音楽プロジェクトである。
出身地 西ドイツ
ジャンル ディスコ
活動期間 1977年 - 1984年
2006年に再デビュー
レーベル 西ドイツ
日本の旗ビクター音楽産業
共同作業者 ヴォルフガング・メーヴェス
ジーン・フランクファーター
メンバー
サンドラ・アン・ラウアー

担当 ソプラノで、ほとんどの楽曲のリード・ボーカルを担当していました。
アラベスク加入前 14才の頃からステージに立っていました。アラベスク加入前にはソロ歌手として「Andy mein Freund(私の友達、アンディ)の意」をリリースしました。
♪ラジオの公開番組でのステージ。この時はシングル「Andy Mein Freund」を歌いました。
ミシェーラ・ローズ

ミシェーラ・ローズ
担当 アルトで主にバック・コーラスでしたが、リード・ボーカルを担当する事もありました
アラベスク加入前 モデルとして芸能活動をしていました。1976年にはタレント・コンテストで1位の成績も収めています。
♪1976年、タレント・コンテスト第1位の賞状を嬉しそうに見せるミシェーラ。
ジャスミン・エリザベス・フェッター

ジャスミン・エリザベス・フェッター
担当 ソプラノでバック・ボーカルを担当。また、体操選手という経歴を生かし、振りつけを担当していました。
アラベスク加入前 元々、西ドイツ体操のナショナル・チームの一員でしたが、オリンピックを控えたある日、練習をしていて段違い平行棒から転落し、腰を打ち、競技生活を断念せざるを得なくなりました。その後は、ダンサーやダンス・クリエーターとして活動していました。
ハロ-・ミスター・モンキー
デビュー曲ハローミスターモンキー日本でオリコン洋楽シングルチャー1978年6月26日から3週1位となった、大ヒット曲!
1978年に日本のビクター音楽産業が、「ハロー・ミスター・モンキー」の日本での発売権を獲得し、大ヒットを記録。日本ではオリコン洋楽シングルチャートで1978年6月26日付から通算3週1位を獲得した。このヒットによって、それまでいろいろな人物が入れ変わり立ち変わりしていた「アラベスク」は、音楽プロデューサーにジーン・フランクファーター(Jean Frankfurter)、シンガー・チームにサンドラ・アン・ラウアー(Sandra Anne Lauer)、ミシェーラ・ローズ(Michaela Rose)、ジャスミン・エリザベス・フェッター(Jasmin Elisabeth Vetter)という固定したメンバーによるプロジェクトとして活動することとなる。
キャバレーロに夢中
1979年から加入しメイン・ボーカルに起用された当時17歳だったサンドラ・アン・ラウアーは、美貌かつ小顔で手足が長いモデル体型の美女で、この頃の日本のアイドルにはいないタイプで人気を牽引した。アラベスクの活動停止後、1982年の日本公演・6thアルバム『キャバレーロに夢中』に参加した
フライデーナイト
個人的にも好きな曲でした。
オリジナルアルバム
『アラベスク・ファースト』 - Friday Night (1978.12.5)(日・独ともに1st)
『ペパーミント・ジャック』 - City Cats (1979.10.25)(日・独とも2nd)
『ハイ・ライフ』 - Marigot Bay (1980.5.21)(日・独とも3rd)
『さわやかメイク・ラブ』 - Arabesque IV (1980.12.5)(日本4th)
『ビリーズ・バーベキュー』 - Arabesque V (1981.8.21)(日本5th)
In For A Penny (1981)(独4th。日本盤『さわやかメイク・ラブ』『ビリーズ・バーベキュー』からの編集盤。ドイツでの最後のオリジナルアルバム)
『キャバレーロに夢中』 - Caballero (1982.4)(日本6th) *裏ジャケにキーボード:マイケル・クレテュ、ギター:マッツ・ビョークランド(「ザンジバル」、「シークレット・ランド/サンドラ」共作者)の記載
『愛のリプライ』 - Why No Reply : Arabesque VII (1982.12)(日本7th)
『恋のルーザー』 - Arabesque VIII (1983.12)(日本8th)
『恋はナイト・アンド・デイ』 - Time To Say 'Good-Bye' (1984.12.16)(日本9th。ラスト・アルバム)

アラベスク complete box
旧メンバー
カレン

カレン・アン Karen Ann
結成時のメンバーの一人。1953年9月11日、ロンドン生まれのイギリス人です。オッフェンバッハという年で開催されたソング・コンテストで優勝したところをウォルフガング・メーベスらに見出されてアラベスク加入となった。4thシングル「今夜もロック・ミー」までは在籍していました。ファースト・アルバムには、アラベスクの活動と平行して学校の先生をしていると書かれていましたが実際のところはわかりません。
メリー

メリー・アン Mary Ann
結成時のメンバーの一人。ドイツ人で、ソロ・ボーカリストの経験を持っているとのこと。ファースト・アルバムリリースの時点で脱退しました。
ハイク

ハイク・リンボウ Heike Rimbeau
1959年4月17日生まれのドイツ人。ファースト・アルバムのリリースの時点で、メリー・アンに代わり加入したメンバー。4thシングル「今夜もロック・ミー」までは在籍していましたが、5thシングル「ペパーミント・ジャック」リリース前に脱退しました。
エルケ

エルケ・ブルクヘイマー Elke Bruckheimer
何と!アラベスクにもう一人のメンバーがいた!!!
日本でリリースされたレコードなどのライナーには彼女についてまったく触れていません。彼女は西ドイツでいくつかのバンドのボーカリストとして活動しているところをアラベスクのプロデューサーのヴォルフガング・メーヴェスに見出され、'79年までの約半年間、在籍しました。しかし、「自分はカントリーを歌いたいんだ」と気づき脱退。
アラベスク解散・・・その後は?
【サンドラ】
西ドイツでソロ・アーティストとしてデビューし、ヒットを飛ばすなど成功を収めている。
【ミシェーラとジャスミン】
『ルージュ(ROUGE)』というグループで西ドイツを拠点に活動を始めた。
『ルージュ(ROUGE)』解散後は2006年にミシェーラが中心となり、ザビーネ・ケンパーとジルケ・ブラウナーの二人を加えアラベスクを再結成!ジャスミンはイベント会社を起こし、結婚しました。現在は芸能界を引退している。
アラベスク再結成

新メンバーを加えて
オリジナルメンバーの一人、ミシェーラ(Michaela Rose)を中心に2006年12月、新メンバーのザビーネ・ケンパー(Sabine Kaemper)とジルケ・ブラウナー(Silke Brauner)の二人を加えモスクワのレトロ・FMフェスティバルにゲスト出演し、往年のヒット曲を披露した模様。口パクという噂もありますが・・・世界ツアーやニューアルバムのリリースも噂されている。