EPO

高校生時代に音楽コンテストで優勝し注目され、大学在学中に竹内まりやなどと接触を持ち、音楽界へと歩みを進めていきます。
その大学とは、なんと東京女子体育大学。通称「東女体」。
柔道の田辺陽子(3大会連続のオリンピックメダリスト)、新体操の秋山エリカなどを輩出した、女子体育大学の名門校。元気印なわけですねぇ。
でも、中退までしたミュージシャンの道でしたが、自分自身が目指すポップスと売れる歌中心主義の会社側との間で、日々苦悩をし精神的にも相当追い込まれていたようです。
デビュー4年後にレコード会社を移籍するのですが、これを境に作風に変化が起き、自身の歌の世界を築き上げていくのでした。
そんな彼女に実は、幻のデビュー曲があったのです。
元気娘デビュー
Down Town

1980年3月リリースのデビュー曲。
山下達郎率いるシュガーベイブが、1975年にシングルカットした歌のカバー曲です。
デビューはしたものの、売り上げはさっぱりでしたが、1981年5月に放送開始された「オレたちひょうきん族」の2回目の放送からエンディング曲に採用され、話題となり、彼女の名前が世に知れ渡ることになります。
レモンライムの青い風
PARK Ave. 1981

1980年11月リリース。
CMで聞かれた方も多いのでないでしょうか?
「レモンライムの青い風ぇ~ この胸のときめき静めてぇ~」
中島はるみ出演のキリンレモンのCMソングになりました。
この詩の一節のとおり、爽やかな詩とメロディがCMのイメージとマッチして、ヒットしました。
ジャケットの聖子ちゃんカットの女の子はまるで別人ですね。
アイドルを意識したビジュアルなのでしょうが、本人の中では「歌」に対する悶々とした思いが蓄積されていくのでした。
恋のパラダイス 夢のパラダイス
土曜の夜はパラダイス

1982年10月リリース。
オリコンでも100位以内に入らず、それほどのヒットはしなかったのですが、「DownTown」に続いて、オレたちひょうきん族のエンディングに使用されたことで、知名度がとても高い歌になりました。
最大のヒット曲
う、ふ、ふ、ふ

1983年2月リリース。
資生堂CMのキャンペーンソングとして大ヒットしました。
この歌の魅力は、何と言ってもサビのシンプルさと軽快なテンポと、「うふふ」の合いの手?ですね。
「ちやほやされて うふふ きれいになると うふふ 悪魔したくなる」
この「うふふ」が「ラララ」だったら、これほど注目されたでしょうか?
EPOの華がパーッと開いた瞬間でしたね。
男ははるばる わたしを摘みにくる
くちびるヌード・咲かせます


高見知佳
日本コロムビア | 高見知佳
1984年2月リリース。作詞・作曲EPO。
高見知佳が歌った資生堂のCMキャンペーンソング。
彼女の歌の中で唯一のヒット曲と言えるでしょう。
詩の一節に「Voulez-vous coucher avec moi ce soir」というフランス語があるのですが、
これが大胆な言葉なんです。
アメリカのレディ・マーマレード(ニコールキッドマン主演の映画ムーラン・ルージュの主題歌に使われた)の歌詞の一節なんですが、上品に言うと「今宵、わたくしとベッドを共にしませんか?」、早い話、「今夜、私と寝ない?」ってことなんですね。
アイドル路線の高見知佳には、エロティックすぎる一節でした。
フランス語でよかったですねぇ。
あの夏二人ここで決めた 悲しいさよなら
音楽のような風

1985年8月リリース。
詩はとても悲恋な内容なのですが、メロディはタイトルのとおり風のように爽やかで軽快なテンポのとてもいい歌です。
日本ビクターのCMソングになりました。
せつない片想いに Goodby Goodluck
12月のエイプリルフール

1985年11月リリース。
初めてのクリスマスを迎えることなく別れる男女の恋を、スローテンポにのせて切なく歌う、心に残る歌です。
タイトルも寂しいけれど、ユーモアを感じるEPOらしい表現ですね。
明日から誰かのあなた でも忘れたくないの
渚のモニュメント

1986年3月リリース。日本ビクターのCMソングになりました。
EPOらしさが伝わってくる軽快なメロディに、失恋しながらもポジティブな女心をマッチングさせた爽やかな歌です。
オレたちひょうきん族

EPOとこの番組のつながりは結構深く、初期の2年間(1981年5月~1983年2月)と中期の2年間(1983年12月~1985年9月)のエンディング曲(DownTownや土曜の夜はパラダイスなど)を担当しました。
また、番組内でのTAKECHANマンのテーマ曲、「THE TAKECHANマン」もEPOの作曲(佐藤エポ子名)です。
お笑い・バラエティの全く違う世界でありながら、EPOを世間に広め、認識させていったと言っても過言ではないでしょう。
EPOが学生時代に影響を受けたとされる山下達郎ミュージックでデビューし、アイドル路線からの脱却、自身の目指すミュージシャンの世界への変遷、山あり谷ありの音楽活動でしたが、ステージの上ではいつでも元気印全開でファンを楽しませてくれました。
そして、シングル、アルバム、CMとのタイアップと精力的に活動を続けています。
最近ではセラピストとしても活躍され、癒しの空間を提供されているようです。