荒井由実時代のオリジナルアルバム
1 1973年11月20日 ひこうき雲
2 1974年10月5日 MISSLIM (ミスリム)
3 1975年6月20日 COBALT HOUR
4 1976年11月20日 The 14th Moon(14番目の月)
1st 1973.11.20 ひこうき雲
2nd 1974.10.05 MISSLIM (ミスリム)
3rd 1975.06.20 COBALT HOUR
4th 1976.11.20 The 14th Moon (14番目の月)
荒井由実時代のアルバムからのタイアップ
第二次ブーム~松任谷由実時代へ
1975年12月にアレンジャー・松任谷正隆と婚約、1976年11月29日に横浜山手教会にて結婚しました。本人は引退する考えでしたが、専業主婦にはなりきれず結婚後の姓に変更して、松任谷由実の名で音楽活動を続行。1978年から1983年はオリジナルアルバムを毎年2枚リリースするなど、ブレッド&バター、松田聖子、小林麻美などに楽曲提供をしながらもハイペースで曲を製作し続けます。「埠頭を渡る風」、「DESTINY」、「恋人がサンタクロース」、「カンナ8号線」、「真珠のピアス」、「ダンデライオン」などはこの頃作られました。また、リゾート地でのコンサートのスタイルをこの時期に確立させます。
1981年6月のシングル「守ってあげたい」が1981年のシングル年間ランキング第10位のヒットとなり、第二次ブームが到来。その年のアルバム『昨晩お会いしましょう』以降のオリジナルアルバムは17枚連続でオリコン1位を獲得、1987年のアルバム『ダイアモンドダストが消えぬまに』以降は9作連続のミリオンセラーを獲得しました。
当時人気の高かったスキーを題材にした映画『私をスキーに連れてって』(1987年)の主題歌と挿入曲を一手に担当し、「若者のカリスマ」、「恋愛の教祖」などと呼ばれました。「失恋」についてを歌い、彼女自身がライバルと評する中島みゆきの作風とは一線を画し、「中産階級の手に届く夢」を歌って、バブル景気に沸く時代の波に乗ったユーミンでしたが、1990年代に入ると精神世界や民族的な音楽に傾倒。「満月のフォーチュン」「DAWN PURPLE」「真夏の夜の夢」「春よ、来い」「輪舞曲」などを生み出します。