【ラミレス】が横浜DeNAベイスターズの監督に決定!! NPBにおける外国人監督と成績を振り返る

【ラミレス】が横浜DeNAベイスターズの監督に決定!! NPBにおける外国人監督と成績を振り返る

来年2016年からラミレスがDeNAの監督に決まりました。日本のプロ野球界で賀古の外国人監督を調べてみると、成績よりインパクトがあったから覚えているという人の方が多いようです。


アレックス・ラミレス(横浜DeNAベイスターズ) 2016年〜

近年、日本球界で最も活躍した選手ですよね。今後、監督として頑張ってほしいですね。

アレックス・ラミレス

テリー・コリンズ(オリックス・バファローズ:2007 - 2008途)

吉本興業のタレントシルク、一時は「結婚秒読み」などと報じられた時の印象がありますね。

成績
2007年 6位
2008寝 5位

テリー・コリンズ

マーティ・ブラウン(広島東洋カープ:2006 - 2009、東北楽天ゴールデンイーグルス:2010)

ベースを投げまくって、退場処分されまくってましたね。

成績
2006年 5位
2007年 5位
2008年 4位
2009年 5位
2010年 6位

マーティ・ブラウン

広島・楽天時代を通じて、監督として史上最多となる12回の退場処分を受けている。また、その際にベースを投げたり、ホームベースを土で隠す行為に及ぶことがあり、話題となった。ブラウン途中退場時の成績は、2010年シーズン終了現在で9勝3敗・勝率7割5分。「監督が退場した試合は勝てる」と評されているが、これについてブラウン退場時に代理監督を務めるジェフ・リブジーは「彼が抗議するのは選手を守るためで、彼が退場になると選手が盛り上がるんだ」と語っている。 2006年5月16日の対西武ライオンズ戦の試合前練習で、広島の選手・コーチ・スタッフが正面に“DANGER!(危険!)”、背面に“MY MANAGER THROWS BASES(うちの監督はベースを投げるぞ)”とプリントされたTシャツを着用した。リブジーは正面が監督代行、背面が“He did it again…(またやったよ…)”のTシャツ、ブラウンは背面が“I THROW BASES(私はベースを投げるぞ)”と書かれたものを着用した。このTシャツに描かれたマークは、対北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)の7回表・広島攻撃前に電光掲示板に映り、大歓声が沸いた。 2006年11月23日に行われた広島のファン感謝デーでは「ベース投げコンテスト」が行われ、ブラウンも始球式に参加した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%B3

マーティ・ブラウン - Wikipedia

成績は残念ながら、広島時代は5位、4位、楽天時代は最下位に終わっています。

レオン・リー(オリックス・ブルーウェーブ:2003途 - 終了)

80年代日本で10年間選手として、ロッテ、大洋、ヤクルトで活躍していましたが、2003年からいきなりパリーグのオリックスの監督になったのはビックリしましたね。
成績
2003年 最下位

レオン・リー

2003年にオリックス・ブルーウェーブの打撃コーチとして、16年ぶりに日本球界に復帰。同年4月に監督の石毛宏典が解任されると、後任の監督に就任。それにともなって、前監督の「守備力重視」から「打撃力重視」にチームスタイルを変更したため、チームの打撃陣は好調だった(チーム打率リーグ2位、本塁打同3位。ただし得点は同5位)。しかし、ディフェンス面をあまりに軽視しすぎた結果、守備陣は機能不全に(チーム失策数132)陥り、投手陣も次々とプロ野球ワースト新記録(チーム防御率5.95、年間最多被安打1534、最多失点927、最多自責点819など)を乱発するほどの投壊状態となった。結局、前身の阪急時代を含めて球団史上最低勝率を更新する(ちなみに前年・2002年の勝率.365が球団史上最低だった)最下位となり、同年限りで退団した。当時オリックスに在籍した山崎武司は「僕にとってオリックスでの一番の収穫は彼との出会いといっても過言ではない。そう思えるほどレオンは僕にとって重要な存在でした。日本でプレーしただけあって日本人の気持ちを理解してくれる。何とかこの人のために結果を残したい」、アメリカに帰国後もレオンは山崎を激励し、「野球を諦めかけていた自分がもう一度奮い立つことができた背景にはレオンの親心もあった」と山崎は著書に記している

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%BC

レオン・リー - Wikipedia

トレイ・ヒルマン(日本ハムファイターズ=北海道日本ハムファイターズ:2003 - 2007)

外人の監督で最も成功した人ですね。
成績
2003年 5位
2004年 3位
2005年 5位
2006年 1位
2007年 1位

トレイ・ヒルマン

ボビー・バレンタイン(千葉ロッテマリーンズ:1995・2004 - 2009)

この人もAクラスの成績が多かったので記憶に残る人でしたね。
成績
1995年 2位
2004年 4位
2005年 1位
2006年 4位
2007年 2位
2008年 4位
2009年 5位

ボビー・バレンタイン

ドン・ブレイザー(阪神タイガース:1979 - 1980途、南海ホークス:1981 - 1982)

成績
1979年(阪神) 4位
1980年(阪神) 5位
1981年(南海) 4位
1982年(南海) 6位

ドン・ブレイザー

1979年に阪神タイガースの監督に就任。アメリカから野球を頭脳プレーで展開する「考える野球(シンキング・ベースボール)」の仕組を取り入れた采配が期待された。就任1年目の同年は最終的に4位に終わったが、前年の1978年の最下位に比べれば持ち直し、夏のロード明けまで首位争いに加わり、前年より20勝勝ち星を増やした。前年オフにブレイザーが敢行した西武ライオンズとの大型トレード(阪神の田淵幸一、古沢憲司と西武[6]の真弓明信、若菜嘉晴らを交換した)、小林繁の獲得などで前年に比べて戦力がアップされたこともあったがブレイザーの手腕によるものも大きかった。当時遊撃手の真弓に「つま先は常にホーム方向へ」と指示し、遊撃の守備位置や動きで投手の球種を悟らせない「考える守備」を提唱した。 1980年は当時新人の岡田彰布の起用法を巡ってフロントと軋轢が生じた。ブレイザーは、新人はまず二軍で養成すべしと考えていたので、岡田を起用したがらなかった。岡田はブレイザーとの初対面で通訳兼任コーチの市原稔を介して「いくら力のあるルーキーでも、メジャーリーグでは最初からいきなり試合起用することはない」と告げられ、「そんなの関係ないやろう」という反骨心が芽生えたと後に著書に記している[7]。岡田自身は起用がないことについて表立ってコメントすることはなかったが、大物新人スラッガーをいち早く一軍で活躍させたい球団社長の小津正次郎を中心とするフロント、ファンやマスコミが許さなかったためと言われる。ブレイザーがヤクルトスワローズから獲得したデーブ・ヒルトンを成績・特に打撃が不振にもかかわらず守備面を評価して起用し続けたこともそうした声に拍車をかけることになった。結局、ファンから自宅にカミソリ入りの手紙を送りつけられ、夫人が「こんな野蛮な国はイヤ」と帰国を懇請したこと、また球団フロントがヒルトンを退団(これについてはブレイザーも了承していたが[8])させた後、ブルース・ボウクレアを獲得したことを「フロントの現場への介入」と見たこともあって、シーズン途中の5月14日で退任。ブレイザーの退任後はヘッド兼打撃コーチの中西太が後任の監督となったが、5位に終わっている。 阪神退団後は複数球団から誘いがあり、1981年に古巣・南海の監督に就任した[1]。一年目は5位、二年目は最下位と低迷し心臓病に痛風が重なり辞任。 2015年シーズン現在、阪神タイガースの外国人で監督を務めたものはブレイザーただ一人である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0

ドン・ブラッシンゲーム - Wikipedia

ジョー・ルーツ(広島東洋カープ:1975 - 1975途)

わずか15試合のみの指揮で監督を辞任した。監督通算成績は6勝8敗1引分、勝率.429。

ジョー・ルーツ

その他、日系2世などの外国人監督

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