【総合格闘家】中村K太郎選手インタビュー~「K太郎」の由来、これからの格闘家人生まで~【UNTIED GYM】

【総合格闘家】中村K太郎選手インタビュー~「K太郎」の由来、これからの格闘家人生まで~【UNTIED GYM】

現在、RIZINに参戦中であり日本人ウェルター級最強の呼び声高い「中村K太郎」選手にミドルエッジが独自にインタビュー取材をしてきました。格闘技好きの間では有名な「K」のポーズの由来から、今後の格闘技人生についてなどを中村K太郎選手が主宰するユナイテッドジム東京(UNITED GYM TOKYO)にお邪魔しました。


「裸絞め十段」のニックネームを持ち、逆転のスリーパーホールドで幾多の試合を勝ち抜いてきた中村K太郎選手。試合に勝った後の勝利ポーズである体全体で「K」を表すポーズは総合格闘技好きにはよく知られています。

今、第3次の総合格闘技ブームと言われ、RIZINを初め、海外の格闘技も盛り上がってきてます。そんな時代を生き抜いて、なおバリバリの現役選手である中村K太郎選手に格闘技を始めたきっかけから自分のジム「ユナイテッドジム東京(UNITED GYM TOKYO)」を立ち上げた理由などをインタビュー取材しました。

「裸締め十段」中村K太郎選手

K太郎選手と言えば、お馴染み「K」ポーズ

中村K太郎選手

1985年5月22日生まれ、和術慧舟會K太郎道場所属。元DEEPウェルター級王者。SRCウェルター級グランプリシリーズ2010王者。

本名は中村 圭太(なかむら けいた)。
2003年、大学在学中にプロ格闘家としてデビュー。
2006年の修斗参戦時にリングネームを中村K太郎にする。
2006年には、弱冠22歳でUFCに参戦。2008年にはDREAM(総合格闘技イベント)にも参戦。
2010年に行われたSRCウェルター級グランプリシリーズでは優勝。
2015年にUFC復帰し、8試合を戦う。
その後、RIZINやBellator JAPANなどに継続参戦中。

誰もが知りたい「K」太郎の由来

編集部)

本日はインタビュー取材ありがとうございます。早速ではございますが、中村K太郎の「K」の由来からお伺いしたいのですが、よろしいでしょうか。

中村K太郎選手)

「K」の由来は、通っていた和術慧舟會の先輩に滝田「J」太郎さんがいて、よくセコンドについたり、一緒に練習をさせていただいたんですよ。滝田「J」太郎さん自体は、杉作J太郎さんから取ったみたいです。



滝田「J」太郎さんが入場の時に小芝居をしながらの入場してて、その手伝いもしてたのとその滝田「J」太郎さんの後輩ってことで、Jの次はKで本名が圭太なのでノリでつけた感じです(笑)



今となっては、ずっと名乗っているので「K」に思い入れもありますが、当時はそんなに意識しないでつけちゃいましたね。

お隣は山田崇太郎選手
中村K太郎ブログより
(https://ameblo.jp/ktarou-nakamura/page-250.html)
ご本人の許諾を得て、お借りしました

中村K太郎選手、プロ4年目くらいのお写真

中村K太郎ブログ UFC参戦中 -250ページ目

編集部)

格闘技を始めたきっかけは何だったんですか?

中村K太郎選手)

格闘技を始めたきっかけは、小学1年生くらいの時にテレビで田村亮子選手の柔道の試合を見て、柔道に通いたいって親にお願いしたところからですね。



当時は、福島に住んでいたのですが、母親に車で送ってもらって柔道教室に通っていたのを覚えています。多分、当時の母親もパートとかで働いていたと思うんですが、忙しい中でも遠かったのにわざわざ車で送迎してくれた母親には感謝してます。



小学校5年生くらいで東京に戻ることになるんですが、そこからも柔道は続けていて、柔道から格闘技へと言った流れですかね。

格闘技を始めたのは、喧嘩自慢とのスパーリングだった?

編集部)

柔道で極める形ではなく、格闘技の道へと進めたのはいつ頃ですか?

中村K太郎選手)

中学に入っても、柔道部は続けてました。地元の友人が和術慧舟會に入っていて、そこが総合格闘技に触れるきっかけですね。



その地元の友人が同級生や友達を集めて、地元のスポーツセンターとか武道場とかを借りて遊びで同好会みたいな総合格闘技サークルを始めたんです。



その頃に住んでいたのが、葛飾区だったんで、葛飾とか江戸川とかのヤンチャなお友達をその格闘技サークルに呼んで、強めの手合わせしたりしてました。そのヤンチャな方達とのスパーリングには、1回か2回かくらいしか参加して無かったです(笑)

当時を振り返る中村K太郎選手

編集部)今のYouTube界隈で流行っている「喧嘩自慢」みたいな感じですか?

編集部)

今のYouTube界隈で流行っている「喧嘩自慢」※1みたいな感じですか?

中村K太郎選手)

そうです、そうです。まさにあんな感じで時代を先取りしてました。ヤンチャな友達がビデオカメラ持ってたんで、動画取ったりもしてましたねー。僕は悪いことはしてませんよ!スパーリングしてただけです…



で、その同級生が中学生で和術慧舟會に入っていたんです。その当時は、僕が和術慧舟會の道場に行くってことは無かったですが、同級生から和術慧舟會の話を聞いてました。同級生が小路さん※2に練習でコテンパンにやられた話を聞いてたりして、いい意味でそんな時代でした。

編集部)

その同級生の方がきっかけで、和術慧舟會東京本部に入門したのでしょうか。

中村K太郎選手)

僕が入門したのは、高校の柔道部が終わってから和術慧舟會に入りました。やっぱりその地元の友人の影響は大きかったですね。その友人のお兄さんも和術慧舟會に入っていたのもありますね。後は道場が地元からも結構近かったので、当時御茶ノ水っていうか湯島にあったので、通いやすかったですね。



高校終わってからは、ほぼ毎日通ってました。付属の高校だったので大学はそのまま持ち上がりで入学したのですが、大学の柔道部には入らず、総合格闘技1本になりました。

※1:「喧嘩自慢」YouTubeで人気のコンテンツ。格闘家が地元のヤンキーなどとスパーリングをして喧嘩自慢を試す企画。
※2:PRIDEなどで活躍した小路晃さん。和術慧舟會に所属していた。現在はラーメン屋を営んでいる。

総合格闘家としてのデビュー

編集部)

総合格闘家としてのデビューはどういった状況だったんでしょうか。最初の頃からプロを意識されていたのでしょうか。

中村K太郎選手)

アマチュアの試合に出てからプロを意識し出したかもしれません。JTC(Japan Totalfight Championship)という大会で優勝して、和術慧舟會の自前でやってた大会「DEMOLITION」※3でプロデビューした感じですね。その実績を買われて、修斗に参戦していく流れでした。



19歳でプロになったので、割と早い時期から意識してたかもしれないですね。プロって言ってもハードルが低かったのかも知れませんけど(笑)

編集部)

大学を卒業されるタイミングなどで就職とかは意識されなかったんですか?

中村K太郎選手)

就職ってのは頭の片隅にはありましたが、就職活動はしたことなかったですね。なので職歴は全く無しになります。周りの同級生が就職活動している時期は、修斗の環太平洋タイトルマッチ※4とかの時期だと思います。



大学も実家からちょっと遠かったので、あまり通ってなかったですね。大学の試験日と試合の日が被ったので、大学の先生に単位をお願いしたんですが、「学外の予定でしょ」ってあっさり却下されました。単位は頑張って取りましたね。



そういえば、警察官になろうと思って試験受けたことありました。1次試験は受かったんですが、2次試験で落とされたんですが、受かってたら警察官になってたかもしれません(笑)

編集部)

順調なプロ格闘家としての実績を積んでいらっしゃるように見えますが、デビュー以来大変だったこととかありますか?

中村K太郎選手)

プロデビューまでは特に苦労はありませんでしたね。プロデビューしてからは、周りの社会人の方に比べると収入は少なかったと思うので、若干苦しい時期と言えば苦しい時期だったかもしれません。ただ、当時は実家暮らしだったんで、その日のご飯が食べられないとかは無かったです(笑)



デビュー戦のギャラも3万円くらいだったので、格闘家としての収入は最初は少なかったですね。当時からグラップリングの大会は賞金が出たりしたので、賞金目当てにグラップリング出たりしました。

率先して掃除をする中村K太郎選手

※3:「DEMOLITION」2002年に新鋭選手の登竜門としてGCMが打ち出した総合格闘技イベント。宇野薫選手や五味隆典選手などレジェンドも参戦していた
※4:2006年7月21日に行われた修斗環太平洋ミドル級王座決定戦に出場。対戦相手はロナルド・ジューンで1R・スリーパーホールドで1本勝ちしている。

そして、UFCに21歳で参戦。一度は引退を表明…するも現役を継続へ

編集部)

そして、2006年にUFCに参戦されています。その時はどのような形での参戦だったんでしょうか。

中村K太郎選手)

最初のUFC参戦当時はまだ21歳とかでしたね。国内で1本勝ちとかが多かったので、UFC側にアピールが認められて出られた感じですかね。マネージャーとか一生懸命に売り込んでくれたおかげでUFCと契約できたと思ってます。契約してからは、試合のオファーを待つ感じでした。



最初の試合は、海軍の基地でやったのを覚えてますね。試合自体は緊張もそこまでしてなかったような気がします。

編集部)

UFC参戦後、突然の引退表明となりますが、この時はどのような心境だったんでしょうか。

中村K太郎選手)

宇野さん※5が3連敗したら辞めるって言ってたんで、そういう考え方もあるんだと思っていたのが大きいですね。負けた直後とかは、もういいやってなってました。



ただ、練習自体は続けていて、グラップリングの試合には出たりとか、指導しながら細々と格闘技を続けようかとも考えてたんですが、周りからの後押しで続けることを選びました。

編集部)

修斗~UFC~DERAM~SRC~RIZINと様々な団体に参戦し、戦いを続けていらっしゃいますが、その中でも印象に残っている試合を教えてください。

中村K太郎選手)

1本とかKO負けした試合は、結構覚えてますね。キム・ジャンヨン戦※6(2008年11月8日のCAGE FORCE EXで対戦)に負けてる試合ですね。この試合はライト級で出てたので、水抜きがきついとKO負けしやすいってのを感じました。唯一のKO負けなんで忘れられないですね。あとは、村山さんに1本負けした試合※7(2011年9月23日の修斗 SHOOTOR’S LEGACY 04)とか。これも日本人に唯一負けてるんで。



フランク・カマチョ(2014年2月28日のPXCで対戦)※8にも負けてるんですが、これは手前味噌ですが面白い試合になったと思います。結構頑張ったんで(笑)この後、カマチョはUFCに行くんですが、計量オーバー何回もかましてるんですけどね(笑)



やっぱり負けた試合の方が印象に残りますね。

編集部)

今までの対戦相手で一番強かったと感じた選手はいますか?

中村K太郎選手)

やっぱりロレンズ・ラーキン(2019年12月29日のBellator JAPANで対戦・判定負け)ですかね。ホルヘ・マスビダル(UFCウェルター級7位)にも勝ってる強い選手でした。打撃の鋭さ、早さ、強さが違いました。初めて眼下底骨折させられましたからね。

編集部)

個人的な中村K太郎選手のベストバウトは、リー・ジンリャン選手との一戦(2015年9月27日にUFC Fight Nightで対戦・3Rリアネイキッドチョークで1本勝ち)だと思っています。この試合はずっと押されてた展開でしたが、どのような心境で戦っていらっしゃったんですか?

中村K太郎選手)

ボコボコでしたね。やられてる最中、ずっとやばいと思いながら闘ってました。これはこのまま負けると思いながらですよ。



相手も一瞬楽しようと思ったのか、安全に打撃から組みで潰して終わろうとしてきた時に自分の得意な動きがハマった瞬間があったのでうまくハマって勝てました。キャリアの中では一番盛り上がった試合です。やっぱり試合が盛り上がると気持ちいいですね。

※5:宇野薫選手の事。和術慧舟會の先輩にあたり格闘技界のレジェンド選手
※6:キム・ジャンヨン戦、2008年11月8日のCAGE FORCE EXで対戦し、1RでTKO負
※7:村山暁洋戦、2011年9月23日の修斗で対戦し、1Rスリーパーホールド1本負
※8:フランク・カマチョ戦、2014年2月28日のPXCで対戦、5分3R終了の判定負

格闘家としての今後、ジムを立ち上げたことについて

編集部)

まだまだ格闘家としてのキャリアは続くと思いますが、今後の目標をお願いします。

中村K太郎選手)

RIZINでウェルター級日本人最強を証明するのが当面の目標ですね。特に何歳までとかは決めていませんが、後何十試合もできるとは思いませんが。何試合があるかは自分次第じゃないかなと思ってます。それこそ秒殺試合が続けば、何試合も出来るってこともありますし。



まずは直近の試合が組まれたら、そこに全力投球していくことですかね。完全燃焼できるような試合、燃えられる試合をしたいですね。

編集部)

2021年8月にご自身のジム「ユナイテッドジム東京(UNITED GYM TOKYO)」を立ち上げられましたが、設立の意図など教えてください。

中村K太郎選手)

18歳ぐらいから格闘技をはじめて20年近く、柔道時代から数えると30年近く格闘技に関わっているので、子供の頃からやってて全然飽きないと言うか、未だに格闘技をしながら体を動かすことが楽しいので、それを知ってもらいたいからですね。



大井町のゴールドジムで「K太郎道場」※9というクラスは持っているんですが、やっぱり自分のジムで色んな人に格闘技を楽しんでもらいたいってのが強いです。

中村K太郎選手にミットを持ってもらえます!

編集部)

これからジムに入って格闘技を始めようと思っている方に向けてアドバイスをお願いします。

中村K太郎選手)

やっぱり、何も触れてない人にとっては格闘技はハードルが高く思われるんですが、緊張したりとか全然そんなことは思わずに何も考えずにジムに来てほしいです。



怪我させるような練習もないので、気軽にジムを見学とか体験に来て欲しいですね。全然怖くないんで(笑)

柔術のクラスでは中村K太郎選手とも練習できます!

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