マルチな活躍ぶりを見せた内田高子さん
内田高子さんの経歴
1942年、千葉県銚子市に生まれた内田高子さん。幼少期は地元で過ごされ、1961年に公立高校を卒業すると建設会社に就職しています。
翌年1963年には東芝音楽工業(後のEMIミュージック・ジャパン、現在は吸収合併してユニバーサルミュージック合同会社)に入社。シングル『粋なネグリジェ』を発売して内田高子さんは歌手デビューを果たします。
しかし、歌詞が過激だったために放送禁止となり、ヒットには繋がりませんでした。
当時は成人映画に限らず一般映画や連続テレビ映画にも出演されていますが、大蔵映画が制作した成人映画『雌 めす 牝』は、同社が配給する作品の中でも最大のヒットを記録するほどの興行成績を収めました。
こうして内田高子さんは成人映画のスター女優といったイメージが定着していきます。
この時期、後に結婚する映画監督・向井寛さんと出会い、内田高子さんは立て続けに彼が監督した作品の主演を務めています。
1971年には向井寛さんと結婚し、その後はバーの経営やキャバレーでの営業もしていたようですが、1972年には正式に引退しています。
2008年に向井寛さんと死別。その翌年2009年にはラピュタ阿佐ヶ谷で『60年代まぼろしの官能女優たち』の特集上映が行なわれ、向井寛さんが監督を務め、内田高子さんが主演した作品『淫紋』も上映されました。さらに内田高子さんは、初日のトークイベントにも参加しています。
内田高子さんにまつわるエピソード
『黒い雪』事件の詳細
起訴されたのは、監督・武智鉄二さんと日活の営業部長です。
出演していた内田高子さんも警察への出頭を求められ、任意で事情聴取されています。