自分の”声”までも楽器の一部にしてしまった米国のジャズピアニスト、兼、歌手のナット・キング・コールを偲ぶ

自分の”声”までも楽器の一部にしてしまった米国のジャズピアニスト、兼、歌手のナット・キング・コールを偲ぶ

読者の方々はあまりご存知ないかもしれないが、ナット・キング・コール(Nat King Cole)は1940~60年代に米国で大変人気があり、活躍したポピュラー・ジャズシンガーだった。20世紀を代表するスーパースターの一人だといっても過言ではない。彼の音楽スタイルはピアノを弾きながらクラブや、バーで歌うタイプのシンガーの一人である。今で言うなら、ビリー・ジョエルと音楽スタイルが似ている。しかしナット・キング・コールのその魅力の一つに、その”声”を挙げることができる。お世辞にも彼の声は美声であるとは言えないが、一言で言うならば、彼はその”声”までも楽器の一部にしてしまったことだろう。そんな彼の珠玉の名曲の数々を紹介しよう!


ナット・キング・コール(Nat King Cole)って誰??

彼の若い頃の写真
ナット・キング・コール(Nat King Cole、1919年3月17日 - 1965年2月15日)は、アメリカのジャズ・ピアニスト、歌手。
本名:ナサニエル・アダムズ・コールズ(Nathaniel Adams Coles)。「キング」は愛称。

ナット・キング・コール(Nat King Cole)

ナット・キング・コール(Nat King Cole)の生い立ち

1919年3月17日、米国アラバマ州モンゴメリー(後にモンゴメリー・バス・ボイコット事件で有名になる街)で生まれた。父はバプテスト教会の牧師であり、母・ペリーナは教会のオルガン奏者であった。4歳の時に家族とともにシカゴに引越した彼は、12歳まで母からオルガンを習い、協会のオルガニストを担当するまでになっていた。しかし、彼が好きな音楽は讃美歌でもゴスペルでもなく、ジャズだったようで、ルイ・アームストロングやキング・オリヴァーに憧れ、地元シカゴで本場のジャズを学んだ彼は、高校時代に早くも14人編成のバンドを組んでダンス・パーティーで演奏してはお金を稼ぐようになっていたようだ。

モンゴメリー・バス・ボイコット事件(Montgomery Bus Boycott)とは何ぞや??

米国アラバマ州モンゴメリーで黒人らによるバスのボイコットが起こった。 当時、市バスの席は、黒人用と白人用に分けられていて、白人用の席がいっぱいになると、黒人らは席を譲らなくてはならなかった。 1955年、12月1日、ローザ・パークス(黒人女性)婦人は白人専用の席に座り、白人が来ても席を譲ろうとしなかった。 そのバスの運転手が彼女に動くことを命じたが、抵抗したために警察を呼ばれ、逮捕されてしまった。
これをきっかけに、黒人たちは若きマルチン・ルーサー・キング牧師を中心に人種差別撤廃のために立ち上がった。 彼らは、ラッシュアワー時でも決してバスに乗らず、客がいなくて空っぽのバスを見ると笑い飛ばした。 これらのボイコットにより、バス会社の売上は悪くなる一方だった。1956年11月13日、連邦最高裁判所は、地方裁判所の判決を支持する形で、モンゴメリーの人種隔離政策に対して違憲判決を下した。そして、運動は1956年12月20日に公式に終了した。黒人たちは勝った。 彼らは、非暴力により、勝利を得ることができたのである。

事件の発端となったローザ・パークス(黒人女性)婦人が逮捕時に乗っていたバス

一難去って、また一難

高校卒業後、彼は黒人のレビュー(歌と踊りとを主体としたショー形式の一つ)である「シャッフル・アロング」を上演する劇団に楽団の指揮者として参加した。米国各地で公演を行う旅をしていたが、途中、劇団員の一人が公演ツアーに必要な資金を持ち逃げしてしまったのだ。まさに彼の運命を大きく変える事件だった。
地元を遥かに離れた西海岸で運営資金を失ってしまった劇団はその場で解散せざるを得なくなったが、彼自身ははやむなく仲間を集めて、ジャズ・カルテットを編成しナイトクラブで演奏することになったのだ。
ところが、せっかくつかんだクラブでの演奏当日、ドラムを演奏するはずのメンバーが本番当日になって現れず、しかたなく彼らはドラムレスのトリオで演奏することになるはめになった。一般的にドラムがないトリオは静かなバーで演奏するのが基本で、小うるさいナイトクラブではドラムが刻むリズムがないと騒ぎ声にかき消されてしまいがちであった。彼のバンドは、またもや危機に見舞われたのだ。
しかし、その危機も彼は切り抜けます。それは彼のピアノがシカゴで鍛えられてたからだった。シカゴはブギ・ウギ・ピアノの本場であり、そこでピアノを学んだ彼は、ブギ・ウギ・ピアノ独特の奏法であるストライド・ピアノをマスターしていたため、片手で力強いリズムをたたき出すと同時に美しい旋律を奏でることができたのだ。それならナイトクラブの雑踏の中でも十分に音楽は観客に届き、かえってその力強さと美しさが観客をひきつけることになった。こうして、彼はジャズ・ピアニストとしての地位を確立して行くことになったのだ。このシンプルな3人編成の「ナット・キング・コール・トリオ」がトリオバンド流行の火付け役となった。
この年、彼のトリオはキャピトル・レコードから彼のオリジナル曲「ストレート・アップ・アンド・フライ・ライト」を発表。当時のピアノ・トリオとしては珍しい成功例となりました。

運命のいたずらはもう一度!!

彼の逸話で下記のような話がある。
ある日、彼のトリオがナイトクラブで「スウィート・ロレイン」という曲を演奏していた時、酔っ払った客の一人が彼に、歌も歌ってくれと半ば脅すように言った。普通の人なら、むかついたかもしれない状況で、ナット”キング”コールという人物はあまりに心優しく、人に反抗的な態度をとることができない人物だったらしい。彼は、要求されたとおりにピアノを弾きながら歌いだしたそうだ。すると観客は大喜びし、その時の観客の反応に気を良くした彼は、以降自ら歌を歌うようになったのことだ。
この逸話は本当かどうか疑わしくもあるのですが、彼の性格を考えると十分ありえることだそうです。

結婚を前後して音楽の軸足をジャズからポップスにシフトする。

中むつまじそうですね!!

ナット・キング・コールと夫人マリア・コール

彼は1948年3月28日、歌手のマリア・エリントンと結婚した。
ナット・キング・コールと夫人マリア・コールの出会いにも面白い逸話がある。彼女は元々デューク・エリントン楽団の専属歌手で、マリア・エリントンの名前で歌っていた。エリントンの伝記を読むと、ある時から毎晩のようにナット・キング・コールがエリントン楽団の演奏を聴きに来るようになったので、いつから俺のバンドが好きになったのかと喜んでいたら、ある日突然専属歌手のマリー・エリントンがいなくなり、その日からナットも姿をみせなくなったという。「ナットの関心は俺のバンドではなく彼女だったのかと、なんだかおかしくもあり、ほほえましく思った」とエリントンは回想している。二人は、5子を儲けるようになるが、1950年代以降はジャズからポピュラー界に軸足を移し、テレビにも多く出演し広く大衆的な人気を得るようになり、ヒット曲を量産するようになった。

なぜ、軸足を移したのだろうか?
 一つは経済的理由が挙げられる。独身時はジャズ一本で食えたかもしれないが、結婚し、子供も授かれば、家族を養わなくてはならないからだ。今は共働きが主流かもしれないが、当時の米国でも「男は仕事、女は家庭」という観念が主流だった。当然、子供までできれば、マリアが家庭を受け持つことになったと推測できる。

 もう一つの理由としては、彼の”声”をそのままジャズ界だけに留まらせたくないとする、社会的な欲求があったのではないであろうか

では、そろそろヒット曲の紹介だ!!

好きなタバコがあだとなったのか??

コールは、1日にタバコを3箱も吸うヘビースモーカーだったことは有名だ。彼はタバコが声を低音にすると信じていたという。

だが、彼の信心とは裏腹に肺を蝕んでいたに違いない。そしてついには歌手としてまだ絶頂時の1965年2月15日、サンタモニカの病院で肺ガンにより逝去。この時、娘のナタリー・コール(後に歌手となる)はまだ6歳前後だったという。

タバコは百害あって一利なしですよ!!

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